YOUNG GIRL ALWAYS THINK ABOUT SOMETHING

世界で一番ダサいブログタイトル。ライブの話や自分の話を長めに書きたくなると突然更新するやつ。

1202ceroのライブ

前に見た時とは、全く違う感覚だった。
前に見た時は確か、神聖で、恐怖を感じるまでの明るさや光や一体感があって、自分ひとり取り残されたような気分だったのですが、今日は、全員が少しずつばらばらで、平等に、都市生活を肯定し合っているような気分だった。わけわかんないただの感覚ですが。

それは、私が以前見た時よりもceroをたくさん聴いていて疎外感を抱かなくなったからかもしれないし、今日見た位置が途中参戦だったせいでステージよりも少し高くかつだいぶ後ろの方だったからかもしれないし、cero側の曲調や編成やアレンジが変化したからかもしれないし、照明の関係かもしれないし、前に来た時とは違ってワンマンだったからかもしれないし、全部かもしれない。それから、小沢健二のライブに行ったことも関係しているのかもね。

でも、とにかく、宗教っぽさやこわさを今日は感じなかったのだ。アンコールでやっていた曲を前に聴いた時が1番こわかったと記憶している。「いかないで光よ、わたしたちはここにいます」のところとか。今日は、自分もその輪の中に入れたような気もしたし、以前思っていたのとは違って、実は誰もその中にはいなくて、一人ひとりばらばらなのかもしれないとも思った。もしかしたら、

さて、印象に残った曲を。

・「よきせぬ」という曲、もうあんまり記憶はないのですが、ふと小沢健二を思い出すような部分があってハッとしました。美しかった。タイトルがひらがな4文字なのもなんだかよいね。

・ペンギンナイト!最近ああいう曲調が好みなので、ダンシングできて気持ちよかったです。ほんのりソウルキッチンのことを思い出したり。もっと存分に踊りたかったー!ceroの曲は拍子が難しくて微妙にノリにくいのが惜しい。

・私の大好きで大好きで大好きな、「わたしのすがた」!もうこれさえ聴ければ何もいらない、ぐらいの気分である。CDのバージョンも好きで好きでたまらないけれど、ライブの、音がちょっと足りないような、そして歌い方がとても変則的な、その場かぎり感の強いわたしのすがたも大好き。歌詞も好きなんだなぁ。文字でちゃんと読みたくなる、噛み締めたくなる歌詞である。こんな文章が書けたら、とも思う。スケールがデッカくなったり小さくなったり、それが行き来する感じが、何も考えていないようで、でも考えて(空想して?)生きている、都市生活者の空虚なリアルな気がして。リアルな空虚?東京とか街とか海とか、そういうのって全部概念なのかもしれない、夢でフィクションで嘘かもしれない、でもわたしはわたしのすがたを今ここで新木場で聴いていて生きているのだ〜うわ〜〜!的な。アレンジがちょっとレゲエっぽいのもよい。フィッシュマンズのライブってきっとこんなだったのかしら?と想像してしまう。私がceroのライブに行く1番の理由は、2016年を1996年生まれとして生きていることを肯定されたいからなんだろうと思う。今アツいグループのライブにきちんと行っていて、ちゃんと2016年を生きているという証明が欲しくて、将来、せっかく2016年を生きていたのにceroを見に行かなかったことを後悔したくなくて、きちんと今を生きていると感じたくて。

あ、あと、どの曲か忘れたけど、めちゃくちゃオリジナルラブそっくりだった。今日は全体的に、◯◯に似ているな〜と思ってしまうことが多かったかも。私は、はじめのうちは、大好きだけれどその全盛期にライブに行けなかった色々なグループのライブを追体験する感覚を求めるやましい気持ちで手を出したのかもしれないけど、もっと、ああceroだな〜!ceroだし、しかもこんなの今まで聴いたことないな〜!という感動や新鮮味や驚きがほしい!もっとびっくりしたいし、もっと新しいceroを感じたいぜー!どんどんどんどん変わっていくバンドなんだろうって感じたので、楽しく追っていけたらいいなと思いました。

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0319

夏の魔物現象2016に行ってまいりました。
「趣味の話を語り合える友達いない問題」で最近ずーっと悩んでいて、なかなか発散できる場所がないので長く書いてしまった。

家を出る直前に微熱でた&開演時間である19時に英語テストの成績発表があるという、割と最悪な状況の中新宿MARZへ。焦って家を出たのでP.O.PのTシャツを着忘れる大失態もかましつつ。
因みに英語の結果は前回と変わらずだった、点数がのびるぐんぐぐーんしないと、MCハマーになれないままなのだ、しんどい。

さて、P.O.Pが出ることと、ビッケさんが夏の魔物っていうグループのゲストで出るっぽいことの2つの情報以外は特にわからずのぞんだわけですが、思っていた666倍アウェイでした。
いや、アウェイではありましたが、人生で一度は体感してみたいランキング1位が地下アイドルのライブ、2位がV系バンドのライブだったので、非常に興味深く楽しめましたよ!
英語の成績を確認するために外にはけたら、顔が真っ白の化粧した男の人とすれ違ったり!お客さんみんなサイリウム振って踊ったり座り込んだり完璧な動きしてるし!ライブ中になんか魚がとんでるし!「極悪偏差値74」とかなんとか言ってるし!見てーんぞって感じ!そしてロッカーに鍵がささらないのを二丁ハロの黄色の方に手伝っていただくなんてハプニングも!これって無銭で接触しちゃってファン的にアウトなやつかもごめんなさい!って感じだったり!
いやー、体調が良い時だったら、それか友達と来ていたら、もっとノリノリになれたかも、と思います。勿体無いことをしたな。

さてさて、バンド無しのP.O.Pを見たのはおそらく初めて?でした!自分で曲流したり音を調節したりするレアな様子が見られたぜ!わーい!ビールとお金を配る時しか盛り上がってないみたいなことを言ってましたが、ちゃんと曲も盛り上がっておりましたよ。セイちょーじょ!にも参戦できたし満足。
ビッケさんを微妙なタイミングで呼んだため、ほぼつったってるビッケさんを見られました、これまたレア…?いや〜しかし中学生日記はやっぱり大好きですね、受験期を思い出すのです。明るい未来を信じていた、前を向いて進んでいた、この曲だけ聴いていれば全部うまくいくし全能だ!みたいな気分だった自分を思い出すのです。うーん!2番でデスボイスっぽくなるとこも好きなんだな〜今日は声がフレキシブルでかっこよかった。あとアウトロ部分?でフリースタイル風の何かがあったような?(記憶がとても曖昧)、なんかとにかくかっちょよかったー。
わっちみーも最高だった。双子仲良い。そして盛り上げ役に徹するびっけさん。今日もよく動いていらっしゃいました。サビはメガネを上下させた方がいいのか、手を振った方がいいのか、今日は手を振りましたけど。せっかく私もメガネなので、上下させるの練習してうまくなりたいな〜。
前回も今回も左寄りの位置で見たので次は右寄りで見てみたいぞい。それから、まだ先だけど、ハタチ最初のライブはP.O.Pに行ってビールをゲットしたいな〜なんて思った。年末あたりにライブありますように!
こっちのP.O.Pが出るのか一瞬不安になったけど、目当ての方のP.O.Pで安心しました。

で、その後しばらくして出てきたビッケさんは、なんとケガしてとらわれていました。大変!痛そう!血ですぎ!てか体張りすぎ!最終的に上はほぼ服着てない感じになっておりました。最近は裸芸人の波がきていますしね、ビッケさんには是非その波にのっかっていただきた…くはないような。あの曲お願いします!からの今夜はブギーバック?の返し、誰もうまくひろえずw 

今回のは、HELクライムで出てくれたらいいのにな〜とほんのり思ってました。最近植物方面盛り上がってるし(14日のイベント行けなかったの超悔しい)、再始動してもいいんじゃないの?って思っています。絶対しないだろうけど。
コントっぽい寸劇っぽいことしてるのを見ると、ベルハーのライブでコントした時も今日みたいな雰囲気だったんだろうか?とか思ってしまうしね。行きたかったなー。しかも今日は魂がどっかにいっちゃってたから、それこそ地獄に行ってたんじゃないかしらと勝手に想像した。
こんなにHELっ子な私ですが、実は結局HELクライムを1度ぐらいしか見られていないのだ!
そう思うと、行けるライブにはなるべく行っておかないと〜なんて思ってしまう。いや、もっと勉強とかインターンとかやることあるだろって話なんだけど。今後もしかしたらMCハマーになりに行く(?)可能性だってあるし、就活だってあるし、仕事はじめたらどんな生活になるかなんて全然わからんし、結婚とかできる気がしないけど出産とか育児とかしたら趣味に時間なんてさけないし、その間にソウルセットもスチャもライムスターも電気グルーヴも両親もみんな50歳、60歳になっちゃうんだぜ?めっちゃこわいじゃんそんなん。そう考えると、ビッコーさんとかビッカツが盛り上がってた時に色々見に行けたのは幸運だったし、去年や今年好きな人たちが活動的だなんてこれまた幸運すぎるのだ。ライムスがCDだしてP.O.PもCDだしてそーるきっちんも動きがあって電気グルーヴは映画になってスチャはLBまつりやるって、なんだかとてもラッキー。しかしそれを共有できる人がほぼいないのだ。そしてそして将来がとっても不安なのだ。

まとまらない。とにかく今日は行ってよかったです。しんどくなっちゃって最後までいられなかったのが残念でした。
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20151229ソウルセット

ソウルセット終。かっこよかった。魂って感じだった。年末って感じだった。すぎぞーって感じだった。ずっとひゃーって言い続けて終わった。

ビッケさんの声もシルエットも裸足も動きも全部かっこよかった。今日は叫びみたいなコーラスもたくさん聴けてうほうほだった。久々に俊美さんの御姿を拝んだけれどやはり宇宙一麗しいし、今日はノリノリで変な踊りしてたのがかわいかった。私の中ではソウルセット時無口を貫くイメージのかーなべさんが「間違ってない」って言葉を発した事件、そしていつもより笑顔だった感。

アンコールでホフディラン+俊美ビッケのヤードと、まさかの長澤まさみイノセントラブ、夢みたいだった。寝る前にすぎぞーと森進一を思い出すんだろうな。俊美さんが「森進一の時俺が一番笑ってたからな」って主張してたの、かわいかったね。

自分の死がこわいことを知り始める時期、自分の死よりも他人の死の方がこわくてたまらない時期、再び自分の死を意識し始める時期があるんだろうな、みたいなことをぼんやり考えた。ここ1年ほど忘れてたけど、一緒に年を重ねたかった〜的な嫉妬を久々に発症した。1968年あたりに生まれていたかった。自分だけ(どんな集団において”だけ”なのかはわからないけど)生き残っちゃいそうでなんかこわい。

ソウルセットはネガティヴな中にポジティブさがあって、暗いのに前向きで、そういうところがリアルだしLIVEとかLIFEって感じがするし好きだ。今日はライブ中に高校時代のことを色々と思い出して、ソウルセットは私の青春だったことに気づいた(いや、いまだに青春真っ最中だけどな!)。とにかく、ソウルセットは私の青春のバイブル感、あるよな!

そう、バイブルといえば、ベイビーの「ソウルセットは神様」発言ですよ。3人が互いに干渉しないけどなんだかんだ同じくくりでやっている雰囲気、3人でひとつの神って感じかも、三位一体的な、なんて。太陽のこととか愛のこととか歌って世界や人生を賛美して?る感じとか、ソウルセットを拠り所に生きている人たちがいて、確かに宗教っぽさ?まあ誰でもなんでも誰かの神にはなりえるのかもねん。とか言っちゃうと神の意味が軽くなるからなんかアレですが。

ビッケさんの発言について覚えときたいのは以下の2点。うろ覚えで曖昧だけど。
・そーるせっとが神っていう件について「もしそうなら、神って思ってたほどすごくねーな」的な発言
・ホフがヤード終わりに「そーるせっと!」って紹介を言おうとした時の「そういうことしないでやってきたのがサブカルじゃん」発言


よいお年を!
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19歳になりました

19歳になりました。
18歳は大学受験をして高校を卒業して大学生活をはじめました。

受験の話は以前にブログに書いたので割愛。

じゃんけんに負けて6月には模擬店の副責任者をやりました。まだそんなに知らない人たちと一緒に、別に望んだわけではないやりたくない仕事をやるという経験はとても辛かったです。誰に頼っていいのか、どのぐらい人に頼んでいいのか、今までは意識したことのなかった、女子がやるべき仕事・男子がやるべき仕事みたいなこと。迷惑をかけまくっているのにもかかわらず、まるで私だけが大変かのように振舞ってしまう自分、人の悪口や不平不満を平気で言えてしまう自分がショックでした。

広告のサークルでは、今まで見たことないような経験したことのないような、お酒、ノリ、大人、男の人たち感に驚きました。特にバーベキューでは色々とカルチャーショックを受けました。最近では慣れてきた、というか、平静を保ちつつその場を楽しめるようになってきたように思います。
そこの同期はどことなく中高時代の居心地の良さ(=悪さ)に似ていて、とても優しくて、どこか寂しい感じがします。腹をわっているのかわっていないのかわからない感じが。でもみんな色んなことに興味もってて刺激受けまくりなので楽しいです。

落研はオアシスであり憧れです。クラス模擬店でほとんど死んでいた直後に行った落研の控え室にどれだけ救われたことか。でもなんていうか皆とても気を遣ってくれているような気がするので甘えすぎないようにしなければと思います。そして、高校時代惜しくも出会えなかったけれどとても出会いたかった人たちと一緒に活動できていることが嬉しくてたまらないのです。一方、自分は女子っぽいのだなぁということをどうしても意識させられてちょっと寂しくなるのも落研です。どこか共有できない部分があるのだろうと思うと悔しい。そもそも尊敬する人たちだらけなので、性別とか関係なく、劣等感はあるのですが、モチベーションが高まる↑とも言えます。

常にどこにいても疎外感があります。所属したり、所属しているという実感を持ったりするのが下手なんだと思います。でも、もしかしたら、そもそも私が思っているほど誰かと分かり合ったり一体になったりすることは不可能なのかもしれません。高1の頃からずっと、「わかりあえやしないってことだけをわかりあうのさ」について考えていますが、なかなか答えはでません。
一方で、久々に高校の友達と会うととても落ち着きます。高校時代はそんなことなかったりしたのに。面白いことです。
相変わらず中高へのコンプレックスはありますが、人に話すことでちょっと発散できたので薄れつつあります。

私の持っていた道徳観や正義感はずたずたになっています。人の嫌な部分ばかり見えたり聞こえたりする日があって死にそうに辛いです。人を嫌だなと思ってしまうのはとても嫌なことです。

18歳はソウルセットを見に行けませんでした。そのぶん、ライムスターやザゼンを見に行けました。憧れが叶いまくりました。ソウルセットも来月行くので楽しみです。P.O.Pは見に行けたけれどソウルキッチン見に行けてないのが辛いです。
憧れといえば、RGや武将様のライブにも行くことができました。他は相変わらず笑い飯や千鳥がメインだったので、19歳はもう少し広げていきたいです。
趣味へさける時間が減っているのは悲しいですが、なんだかんだ戻れる場所は趣味です。

そんな一年でございました。今年も何卒よろしくお願い申し上げます。
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オザケンについて

イエスが復活した!という話を聞かされた弟子たちは、イエスを実際に見て確かめるまでは復活したことを信じられなかった、っていう話があったような。
百聞は一見に如かず、的な?

ブギーバックが始まり小沢健二がいなかった時点で、きっと心変わりの相手は〜の部分で彼は登場するのだろうと思いました。実際そうでした。私の席は端のほうだったので、小沢健二が入ってくる瞬間が見えました。あ、あれが小沢健二なのか、と思った2秒後ぐらいに悲鳴混じりの大歓声が起こりました。そこで改めて、あ、あれが小沢健二なのか、と思いました。あ、あれが小沢健二なのか、と思いながらも納得しきれていないような状態のまま、ブギーバックは終わり。からの、それはちょっと。それはちょっとを歌いながら、私はとんでもない場所にいるな〜と思いました。状況のすごさは理解しつつも小沢健二の存在を理解できないまま、彼は舞台上から去っていきました。

見る行為とは一体何を意味するのか。
ものが見える仕組みはよくわからないけど、おそらく小沢健二という光のかたまりが私の目にうつって、神経から脳に通じてっていうプロセスなんだろう。
あぁ、そういうことじゃ、ないのさ(©びっけさん)。
どうして、そのものを見たら、その存在を信じられるんだろうか。私は逆に、見たことによって、オザケンとは一体なんなのか、わからなくなった。

私はおそらく、脳内(もしくは心の中なのか?よくわからない)に、私のオザケン像を構築していた。具体的にこんな人っていうのがあるわけじゃないけれど、そのオザケンってのはとにかくカンペキな存在で、実在しない感じ。
私はオザケンが実在しないと思い込むことで、オザケンのカンペキさを信じていたんだと思う。オザケンをカンペキなものとして信じ続けるには、きっと私は小沢健二を見てはいけなかったんだろう。

小沢健二を見た時に理解できなかったのは、目の前にいる小沢健二と今まで想像し続けたオザケンとを一致させることに戸惑ったからだろう。
今日、私は小沢健二を見てしまった。小沢健二は人なんだ、小沢健二はいるんだって、帰り道にブギーバックを聞いていたらわかった。腑に落ちる感覚。
今日スチャの舞台で小沢健二は歩いていたし、歌っていたし、なにより思いっきり音をはずしていた(笑)
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0329とろサーモン

とろサーモン単独@ルミネ
WE ARE SO POP PEOPLE

うろ覚えですが→漫才•心理(ココリ)テスト/コント•学級会/漫才•暴走族を追う警察/コント•ジジイババア/漫才•村田コサックにセリフをつける/コント•登山/漫才•彼女が欲しい/コント•点呼/コント(コーナー?)•とろリーグ/映像•五時に夢中に映り込む村田/映像•久保田の桃太郎実況
下ネタ多すぎたし、結構ネタとんでたし、もうええわ→いややめません!は気分次第でぶっこんでた感じだったし、なんか所々ブレブレであらくてゲスくてこわかったけど、楽しかった。
1本目で心理をココリって読むとか答え先に言っちゃうとかイヌサ•ルキジとかめっさ好きだった。反動つけて背筋伸ばすおじいさんとか、死んだフリしてる人に添い寝してくるクマとかも良かった。学級会はどこでどう笑ってよかったのか難しかったな。キャラクターに一貫性がない感じが余計こわかったな。
中国人はよくどっかに頭挟まるみたいなボケがあって、暇でどうでもいいテレビのニュースとか見まくってるのかしら…と思った。久保田さん、逃走中に出た時に、ハンターを走って追い越すボケをしたところ全カットになった上に偉い人に怒られたってエピソード。
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もやもや


大喜利見るとき、さっきからAばっかり当たるなとか、Bずっとあげてるのに当たらないなとか、お題のはじめにCが多いとか、そんなとこばかり見てて、その原因・理由を月番とAやBやCとの関係性の中に見出そうとしがち。という私の行動は、私の性質・性格や、私が人をどう見てるのかをあらわしてる。
2人で誰かと会う時間は楽しめるのに、集団になった途端に苦しいのは、たぶん無意識のうちに全員と全く平等に付き合おうとするし、周りからそう見えるようにこころがけるから。さっきからAはBに対してばかり相槌うってるとか、Cと2人で出かけた時の話を皆でいる時にするのはまずかったかなとか、DとEが遊びに行ってたのをDとEと私の3人で話してる時に聞いちゃってなんで私呼ばれなかったんだろうって思ったりとか。ずっとそんなだから私はだんだん口を開かなくなるし、誰の話も上手く聞けなくなる。そしたらテレビを見ているような気分になってきて、自分がなぜそこにいるのか、そもそも自分は存在してるのか、わからなくなって、私の存在価値の無さを実感するという流れ。
誰かだけその場にいないとか、自分だけ集まりに行けないとか、私だけ知らないみたいな状況が苦手。だから特に人間関係のことで何か隠し事されたり、行動から人間関係が読み取れちゃったりすると苦しい。逆に私も人にそういう思いを抱かせないようにと思って敢えて隠し事したり、行動を慎んだりする時があって、それもまた苦しい。
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