YOUNG GIRL ALWAYS THINK ABOUT SOMETHING

世界で一番ダサいブログタイトル。ライブの話や自分の話を長めに書きたくなると突然更新するやつ。

「スーパーでデート」大好き!

歌詞の引用箇所の引用元:「スーパーでデート」/コレサワ

コレサワ「スーパーでデート」【Music Video】 - YouTube

 

私はスーパーマーケットが大好きです、1番のレジャーはスーパーに行くことだと思います。カラフルだし大量だし、安心するし落ち着くし、日常だし非日常だし、たまんないです。それから、複数の中から選択する行為、そこに表れるアイデンティティについて思考を巡らせることも大好きです。同じ洗剤でもこの人はこういう理由からこっちを選ぶんですね〜のような情報は最高、そして私はどれを選ぶ?最も"私"な選択とは!という、主人公感!Life is a show time!その連続こそがスーパー!

そう、「スーパー」という略され方もたまらないですよね。スーパー〇〇なんてこの世に沢山あるのに、その中でもスーパーの中のスーパーとして、「スーパー」と略してOKって認められているのは凄い、さすがスーパー。

 

さて、今回お話しするのは、そんなスーパーでデートするという曲です。ビスケットブラザーズの単独に行った際、転換で流れていて出会った曲です。

最近どこにも 行けてない世界も

こんなに変わっちゃったけど

恐らくですが、これはコロナ禍が背景にあり。遠出したりお出かけしたりできないので、近所のスーパーに行くこともちょっとしたレジャーとして捉えている、そんな素朴さ、愛しさ。あそこまで外に出られない経験はじめてでしたが、それこそ特に外出を控えていた時期は、近場に散歩に行くとか、スーパーとかコンビニでも、コロナ前より楽しいって思ったよね、そんな共感もありますね。

近場に行くのにそんなおしゃれしてと言われたって

そこが他の子と私の違うとこよ You Know

ちょっと近所に行くにもおしゃれしてたな、あの時期、確かに。全然洋服も化粧品も買う気しないし、でもなんか買いたいし、と思って1着ぐらい買ってみたはいいものの、着る機会がなくて。近場に行くのに一張羅を着て行っちゃうウチらのリアルって感じ。

そして「そこが他の子と私の違うとこ」の感覚もたまらないですね、相手からやや責め、マイナスのニュアンスで言われたであろう要素を、自分の強みとして提示し返しています。自分自身にちゃんと意味があると思っている言葉。聞いていて読んでいて嬉しくなりますね。しかも付き合っている関係なら尚更、私の貴重さをもっと理解しなさいよ!という、なんというか、譲らない感じが出ているのも良い。

 

さて、今紹介をしたパートも好きなのですが、これは前段。

特に好きなのは、ちょっと曲調の変わるCメロ的な箇所の歌詞たちです。

 

まず、この例え!

野菜コーナーの寒さはちょっと雪国みたいでいいね

まず、「野菜コーナーの寒さ」自体が大好きなので、生活のそんなところにわざわざ触れてくれてありがとう、です。特に夏に半袖でスーパーの寒めのコーナーを徘徊して、うわ〜寒くなっちゃったな〜夏なのにな〜って思うやつ、あれとっても楽しいですよね。

はい、そこからの急に「雪国」!大飛躍!「野菜コーナー」という狭くて近いところから、広くて遠い「雪国」に飛ぶところ、たまりません。一気に視界が広がりますね。緑色から白色にうつるような、色彩の変化も感じられて、イメージが広がって良いですね。美しい。意外と雪国もやし、とか、関連性があるかもしれないワードなところも、勝手にクスッとします。

ところでちょうどこの曲と出会う前後で、マザー・テラサワさんの下ネタのコントを拝見して、内容は書きませんがそこに出てきた例えというか見立ても最高でした。ちょうどこの曲を聴きそのネタを見ていた時は、私の中で見立てブームだったのかも。

 

次に、なんといってもこの歌詞!

なに食べる?そんな風にこれからも

いろんなことあなたと選びたい

嗚呼、スーパーでこのプロポーズされたい!と思いますよね?思いましたよね。

共に生きていくということを、「あなたと過ごしたい」「あなたと暮らしたい」とかではなく、「あなたと選びたい」と表現しています!!!

まず、冒頭で述べたように、私はスーパーの「選択」という要素が大好きなので、買い物における「選ぶ」点に言及してくれているものに出会うと、それだけでも嬉しくなってしまいます。

そして次に、私は人間関係において、"違う意見の人とちゃんと話し合いをして互いが納得する共通の解に辿り着くということ"が割と好きです。こうやって言葉にしてみるとすごく変な気もしますが。自分と同じようで違う人、好きなものが違う人に特に興味があり(かっこつけていますね)、そして、違う人間と何かを一緒に選ぶのって特にむずい、その難しさを乗り越えるのって快感だなと思います。違いを理解し乗り換え受容し合う時が、一番脳の刺激すごいからね。そして、私は何よりそういう自分自身のことが好きだし、もっと頑張りたいと思っています。(いや、全然普段、結局、似ている人たちと過ごしています、すみません。)

スーパーの「選ぶ」側面、そして、人と選ぶという非常に難しくてかつ最高の営み、という、私にとってかなり重要な2点が、この歌詞ですっきりしっかり結びつき、歌われています。この曲を聴くと、「あなたと選びたい」と思っている自分のことを自分で祝福できる、そんな気持ちでございます。

 

是非、「スーパーでデート」、皆さんも聴いてください。そしてオススメの全然違う曲のことも教えてください。あなたと、次に聴く曲、選びた〜い。

 

再掲

歌詞の引用箇所の引用元:「スーパーでデート」/コレサワ

コレサワ「スーパーでデート」【Music Video】 - YouTube

 

シェイプオブビスブラ

たくさんのネタバレが出てくるのでお気をつけください。

 

今回は、私がビスケットブラザーズにハマりすぎてどうしようもない、という話をします。

なんでここまで没入しているのか。配信ライブ(「電気」)に出ていて面白かったとか、出演番組などの供給が安定しているとか、色々な理由はあるのですが……。

ビスブラの高級キャバクラのネタにめちゃくちゃ好きなシーンがあって(あとで解説)、今まではただ好きだと思っていただけだったのが、いやこれ完全に私のネタ癖(お笑いにおいて、こういう要素出されたら問答無用で好きになっちゃうわ……という性癖みたいなやつ)だな!と気付きまして。

気付いちゃった途端に、一歩深い愛着ステージへ進出。気がつけば四六時中ビスブラのことを考えています。笑い飯千鳥にハマった中高時代の感覚が蘇ってきます。

 

さて、私の好きな映画はシェイプオブウォーターです。何が好きなのか。圧倒的運命感!とでも言いましょうか。

あの2人は、出会うべくして出会ったんだろうな、と思うし、なんなら出会うために生まれ、あの日まで生きてきたのだろうな、と思うし、ラストではしっかり結ばれて、いるべき場所で、あるべき姿に戻れて良かったね、本当に良かったね、と解釈しています。

この人にはこの人しかいないのだ、という宇宙における究極の1:1の関係性に、私はウルトラロマンチックを感じます。これが私の癖(へき)ですね。

加えて、全てを捨ててでも、相手のために全身全霊捧げて、奔走いたします!みたいな無茶な女性主人公のお話が尚更好きだったり。

千年女優が好きなのもこの辺の理由からだな。

あとは、君の名はもね、大号泣したし、こんなお話が私にも書ければ……と悔しく?なったことを思い出します。

 

まあこのように、巡り会うべきして巡り会う、宇宙の半分ずつみたいな関係、そしてそんな出会いによって生じるパワーみたいな要素が大好きなのです。なんで好きなのか?まではなかなか言語化が難しいのですが。

 

さて、2019年のKOC。

ビスケットブラザーズに衝撃を受けました。それこそ、私はビスブラに出会うために生まれたのでは?というレベルの運命的な出会いを果たしちゃうわけです。

だってあまりにも、私のテーマ全部盛り、みたいなネタで。友人たちからも「漱石を思い出した」「絶対好きって言うだろうと思って会う前に見返してきた」と言われました。一生感謝メン。

 

このネタについては、あまりに好きなところが多すぎるので、先に今回の文の趣旨とは関係のない点を3つお話しします。

その1:

以下のツイートを鮮明に記憶しています。

https://twitter.com/hiko1985/status/1175360505168322560?s=21

「わが星」自体は見たことがないのですが、友人にロロの公演に連れて行ってもらった時に出てきて、その一部だけでも衝撃を受け。こういう「リズムを見た時の感動」を私も生み出したいな〜と思って模索していた矢先のことでした。これじゃん!と思った。慌てちゃったよね。理想的、完成形、もう私にできることはない!みたいな気持ちになったな。

その2:

名前の呼び方の変遷シーンも素晴らしい。「夕暮れゼゼミ」に関するnoteにあったように、また、私が「ふれる」でもテーマとし、完全に『A子さんの恋人』に敗北したように、本当の名前とか呼ぶ呼ばれるみたいなテーマが死ぬほど好きです(これは私のアイデンティティとしてあだ名&名前ががすごい位置を占めているから、だろうな。そもそもアイデンティティという言葉、好きよね〜)。ビスブラ、その要素もしっかり抑えてくれています。いや〜ん。

その3:

「大人になって知らない街に来るのは不安やな」という1行による深み。自分が仮にこのお話を書いてたら、そんな1行を入れようとは思わないな〜って思う。大好き。

 

脱線しました。

その1のツイート内に「君の名は」があったように、これもどうしたって巡り会ってしまうハイパー運命を題材としていますね。

ずっと上ばかり/ずっと下ばかり の対比も美しいのですが、そのように、街を飛び出してから長いこと彷徨った結果、再び巡り会ってしまう2人。記憶もなくしているのに。しかも、2人が引き寄せられることにより強力なパワーが生じて、「全て思い出した」に繋がるのだ、たまらんなこれは。

 

でもこの段階では、めちゃくちゃ好きだな〜止まりで。燃えるようなどハマりに発展するのは、高級キャバクラのネタを見て、自分の癖に気付いてからです。(以下マジネタバレなので気をつけてね)

 

きんさんが高級キャバクラに客として訪れると、出てきたのは自分に瓜二つのキャバ嬢、マリナ(原田)。自分にそっくりすぎてチェンジをしたのですが、このキャバクラでは、チェンジされたキャバ嬢たちが檻に閉じこめられてしまうのです。きんさんはマリナを助けることにするのですが、これがどうやって助かるかというと!!2人で同時に鉄格子を持って、「私たちは、そっくり」と唱えると、鉄格子がぐにゃんと曲がるんですね。

なーーにーーーそーーーーーれーーーーー!!!!!最高!何それマジで!最高!!!!

もちろんこのシーンは、ここまで述べてきたような恋愛的ロマンチックさとは違います。しかし、そっくりな2人が出会い、そのそっくりというパワーで鉄格子を曲げることができるのだ。これは恋愛とかでは括れない、強い結びつきです。

このシーン、なんとなく好きだな〜と思っていたのですが、よくよく考えれば、KOCのネタ以上に、シェイプオブウォーターの好き要素に近いかも。自分の似姿と出会えたことによる解放なのかな〜と。

この要素に、私自身が肯定されるような、わたしはわたしのままでいていいのだ、と思わされるような、そんな感覚になるのかもしれない。

 

はいはい、考えすぎ考えすぎ。

でも多分、わたしも早く、わたしに出会いたいんだろうな。いや、もう出会ってるかもしれないな、わからないな。

 

ちなみに、この「似姿」というのは、宇多さんの花束みたいな恋をした評で聞いたフレーズです。(まだ映画は見ていないので早く見たいね。)

おそらく現実世界で出会う「似姿」をテーマとした作品(例えば趣味や価値観の一致などリアルな恋愛を描く物語)だと、また抱く印象が変わるんだろうな。

でも、シェイプオブウォーターやビスブラのネタは、あくまでファンタジー世界の中でそれが描かれるし、かつ、その世界が多少の闇やグロさを抱えているので、私のようなひねくれ乙女でもスッ受け入れられるのかもしれません。それで余計に好きになっちゃうのかも。

 

 

いやこんなに長々と話してないでさ。

働こう。

たしかに。

並行世界と間違いと肯定

私は「並行世界」に思いを馳せがちである。東京都心はパラレルワールド。わたし、遠い未来にあなたとまた出会うでおなじみそうせきです。

小沢健二の『流動体について』という曲の次のようなフレーズがある。

 

もしも 間違いに気がつくことがなかったのなら?
並行する世界の僕は どこらへんで暮らしているのかな
広げた地下鉄の地図を隅まで見てみるけど

 

「間違い」という非常にリアルな重みのある断言的な単語から、急に「並行する世界」という曖昧で現実味のないところにワープするというギャップが、可笑しく不思議な歌詞である。「間違いに気がつくことがなかったのなら?」という表現からは、いつかのタイミングで、彼は間違いに気づいた、ということが言えそうだ。そうして、気づいた結果、今の道を選択しているのだろうと考えられる。となると、今現在は間違っていない、正しい世界にいる、ということになる。

この歌詞においては、人生の中にはっきりとした正しさ、間違い、といったものが存在するということになるだろう。

にもかかわらず、彼はふと「並行する世界の僕」について考えているのだ。それは、<正しい今>と比べて、間違っているかもしれない、失敗してしまった世界として想起されるのだろうか?

私は、決してそうではないと思う。この「並行する世界の僕」は、ただただ「並行」している世界に過ぎず、そこには間違いも正しいも、何もないのだと思う。フラットな気持ちで、ただ、ふと思い返しているにすぎない、と思うのだ。

むしろ、「間違い」という単語によって、明らかな正しさが存在する可能性を示唆してしまったことを弱め、結局絶対的なものなんてないのだ、と思わせる効果がある。つまり、ここで並行世界に思いを馳せることは、そもそも間違いや正しさなんてどこにもないのだ、と、すべてを肯定する役割を果たしているのではないかと思う。


このように並行世界に想いを馳せる歌詞は多く存在する。例えばPUNPEEというラッパーの『P.U.N.P.(Communication)』という曲の歌詞は、先ほどの小沢健二のものとは逆方向からの視点でそれを描いている。

 

これなきゃ何やってたんだろうな
どこかで間違ってたんだろうな
いやどこかで間違ってこうなって今君とはなしてる
あそっか

 

「間違い」という言葉を用いて並行世界に想いを馳せる展開は先ほどの小沢健二と一致するが、PUNPEEの場合は「今」の方が「間違ってこうなっ」た結果である、としている。

しかし、そのあと続く「今君とはなしてる」は、私の解釈では、決してネガティブなものではない。まず、「間違って」というネガティブな文脈、状況の中で「君とはなしてる」というのは、「出会わなければよかった」というような意味として解釈できる。しかし、この歌詞ではおそらく、「君」と信頼関係があった上で、「君」との出会いや「君」と今こうして話していることを茶化すことにより逆説的に肯定、祝福するような意味あいが込められていると感じる。いわば照れ隠し的な、信頼の上で皮肉的に肯定している構図が見て取れる。(このような歌詞の作り方、何より、色々あった上で訪れている現在の状況のメタファーとして「今君とはなしてる」という状況を用いる表現は非常に美しくセクシーだと感じる。PUNPEE好き〜)

さらに、最後の「あそっか」という、とぼけた感じのする4文字も、非常に大事な役目を果たしている。この「あそっか」は、何に対する気づき、納得なのだろうか。間違って訪れたのかもしれない今、君と話せているということは、間違ってここにきてしまったけれど、別にそれで悪くはないな、と「今」に対して納得したことを表しているように私は思う。このように、小沢健二とは逆方向から「間違い」や並行世界を捉えたPUNPEEの歌詞もまた、結局は、現状も、そうではない可能性も、すべてまとめて肯定するようなニュアンスを感じるものである。

 

さらに紹介したいのは、小沢健二の様々な曲にインスパイアされたと私が勝手に思っている、SHE IS SUMMERの曲だ。

 

 新しい恋人ができて 思い出は救われてく
 生きた日々は重なり ふたりを結んでいく

 

『エンドロールの先を歩く』というタイトルの曲の一部だ。このタイトルは、一度終わったと思われる物語にも、さらなる先がある可能性を示唆している。

ここでは、例えば、「新しい恋人」というワードがでてくる。一見「今の恋人」を否定し、いつか訪れる別れを予見させる寂しいもののように思われる。しかし、それが「救い」になり、今の恋人と共に生きた日々も、もしかすると新しい恋人がかつての恋人と生きた日々も、重なって、また新しいその先の物語が生まれるのだ、と肯定していく。

この歌詞に出てくるような世界は、時系列として今と並行とは言えない。しかし、このような「物語が終わらなかった可能性」(もしくは終わった可能性、か。これも「間違い」なのかもしれないね)という、まるで現在と並行するような未来も、一種のパラレルワールドだろう。ここではそんな未来がポジティブに捉えられているのだ。

 

並行する世界、過去の選択を今とは違うものにしていた場合の今、について、我々はしばしば想起し、後悔したり、逆に今を正当化したりする。誰かを責める時にも、「あの時ああしておけばよかったのに」とつい言ってしまったり、「たら」「れば」で話すと不幸になるよ!といったセリフをよく耳にしたりする。しかし、フラットな気持ちで、全く違う選択をしていた場合の私についてぼんやり考えてみることは、素敵な行為だ、と思う。ぐちゃぐちゃに悩んでしまったりもする今からのエスケープであり、また、それによって、結局は「完全な正しさなんて存在しないな」という真理に気づかされるのではないだろうか。

 

 

言ってみりゃ、並行世界に想いを馳せることと、今、同じ時を過ごしている誰かについて考えるのも、ちょっと似たようなものかもしれない。そんなことや、オザケンのこと、そしてホフディランの『TOKYO CURRY LIFE ~邦題・東京カレー物語~』みたいな話は、またいずれ。

街中でつづいてく暮らし。

獣道 メモ

内田英治監督『獣道』のFilm Screeningに行ってきました。上映後のトークがいろいろ面白かったのでノートにメモしたんですけど、多分こういうところに記録しないと私は見返さないなと思ったので、自分のために記す意味も込めて共有します。

その前に前提の余談。
現在イギリスの多くの大学は、教員がストライキをしていて授業がなかなか開かれないという大変な状況にあります。年金の額が低いぞ!とかなんとかで。せっかく授業を受けに来たのに!大学の施設にもなかなか入れないので、困りつつ暇を謳歌しています。長文を更新してしまうぐらいには暇。(やるべきことはあるけど大抵やりたくないことである。)

ストライキの話は別にいいのです。
なんと、ストライキによってキャンセルになった日本映画の授業の代わりとして、みんな出席してね!と言われたのが今回の『獣道』のスクリーニング。そんなテキトーな!と思いましたけど、非常にラッキーな機会でございますね。

この『獣道』、日本の地方が舞台になってる超絶ドメスティックなテーマの映画だったんですけど(ネグレクト、宗教、不良・ヤクザ、性産業などなどなど)、プロデューサーは外国人だし、日英独共同制作らしい。すごい。
今回は監督とプロデューサーのお二人がいらしていて、映画上映後にQ&Aタイムが設けられていました。私が取っている授業の先生がこのイベントのチェアマンだったらしく、インタビュアー的な役割をしていました。この外国人のプロデューサーの方から見た日本の映画・映画市場についての認識が特に興味深かったですね。

以下おもしろかったトークを抜粋してメモ

・映画には本物の暴走族とそのオートバイが出ている。警察がナンバープレートを撮りに来たりした。この街に本当に暴走族がいるようなシーンは撮るなって注意されたりした(監督)
・日本では映画は人気だけれど、その人気は出演するスターの人気に支えられたもので、映画自体のクオリティーはそこまで重視されない(プロデューサー)
・海外市場では日本と違って監督の名前がとても大事だ(プロデューサー)
・日本ではLong Cut(Version?)が好まれるけど、海外ではShort、Pop、Easier、High Paceの方が好まれがち(プロデューサー)(長回しとかカットのことを言っていたのか、ストーリーについてのlong/shortの話なのか、ちょっとうまく聞き取れませんでした。無念。)
・現代におけるDistribution(流通) Company of Japanese Filmの役割って?→日本ではそこまで人気がないけれど、いい映画、海外で人気が出るような日本の映画はたくさんある。日本のメンストリームの映画はreally really badだ、少女漫画やTVドラマのスピンオフのような酷い映画しかない。わたしの会社は日本ではメインストームじゃないけれども良い映画を見つけ、そういった映画を撮っているけれどなかなか儲かっていない良い監督を救うことを目的としている(プロデューサー)
・どのぐらい海外のオーディエンスを意識して映画を製作したか?→外国では誰も見てくれないだろうね、と言いながら作った。日本の田舎の不良はとても特殊である:なぜなら海外の不良と違って、18歳になる/大人になると悪いことをやめるからだ。その中でも1割ほどはやめずにヤクザになるよ。この映画はtoo domesticだから海外ではウケないだろうと思っていた(監督)
・日本の旗は右翼のイメージがあり普通使わないものだが、不良たちは旗が大好き。旗を映画内で使用するかどうか悩んだが、リアリティを追究するため使用した(監督)
・海外では日本のヤクザCoolみたいなイメージがあるかもしれないが、本当はこのように女性や子供を搾取して儲けるような人々だよ(監督)

以上。

日本のメインストリーム映画は超最悪!少女漫画映画ばっかり!みたいなくだりで笑ってしまった、なんていうか、ロンドンで外国人がそんな状況の話をするとは!という意外性もあったし、あと、さすがに悪く言いすぎじゃないかしら、普通に園子温とか人気あるし、色々と誇張して断言しすぎだ。まあそんなものなのかな。
何がメインストリーム、何がアンダーグラウンドか、ってなかなか難しい話ですね。
でも、海外での方が評価されるから海外でもっと儲かるようにする、それを制作費にして次の作品を日本で撮る、みたいなサイクルは面白いなと思った。海外で評価されている!という噂によって日本でも有名になったりするしな。日本のクリエイティブ産業のマネジメントをテーマにした授業や講演を色々聞いていると、結構こういうモデルがでてきがちである。本当のところ機能してるのか?結局海外の中でもワンオブザアングラカルチャーだし、なんなら輸出などに伴うコストの方がかかっていたりしないのだろうか?といった疑問はあるのですが。

でも、日本にいた時よりも自分の視野はちょびっと広くなった、ぐんぐぐーんだし、そんなアプローチもあるのか!そんな状況の打開策もあるのか!という発見驚き感動はおもしろいですね。

ところで、地方都市映画といえばなんてったってサイタマノラッパー。もうバイブル。私の世界が開いた原点。うお~~~。
『獣道』は、SR3ぐらい話自体えぐかった、いや、えぐかったはずなのに、でもSR3を見た時の震える怯える感じとは全然違って、ハードなのにコメディタッチでさらっとポップに観られる映画でした。面白いな。地方をテーマにした映画についてSplash!!という雑誌か何かが特集をしていた記事を読んだ覚えがあるが、もう中身を忘れてしまった。読み返したいのだが、実家にあるためすぐには読み返せません残念。

そんな感じ。

リバプール行ったよ、その2

リバプールの中華街がよかった。

吸い込まれるぞみたいなそびえたってまっせみたいなデカい門がある、入り口。

でも中に入ってったらお店はちょっとしかない。中華料理屋さんと、たぶん麻雀のお店とか。すぐ終わる中華街。街というか中華道的な。

 

メニューが外に置いてあって値段がわかり、且つ覗いてみてお客さんのたくさん入っていた所をチョイスして入る。

出てきたリブの食べ方がわからない(フォークナイフを使うのか手で食べるのか)。となりの西洋人を盗み見したら手で食べてたので手で食べることにする。西洋人の真似をして中華料理を食べる日本人。しかしそういえばリブって中華料理なのか。中華料理とはなにか。King Do味とかいう謎の甘辛いソース。

 

中華料理って絶対に中華料理だ。たぶん目隠しして食べても中華料理と思うし、食べないで写真だけ見ても中華料理だと思う。触ったらさすがにわからないのかな。音でもわかったらすごいな、炒飯の音とかわかりそうだな。あと五感ってなんだっけ。においか。中華料理の香り、最高。

 

エビチリソース的なのがかかってる唐揚げ的な中華料理が出てきたんです。的なが多いのはわたしの癖です。日本の唐揚げって、日本の唐揚げの味がするし、西洋系のフライドチキンは、フライドチキンの味がするし、中華のこれも、またちょっと違う中華の唐揚げだなという味がします(ソースがかもしれない)。

 

揚げ物というものを生み出した人はすごいと思います。油たっぷりの中に食べ物を入れてみようと、さらにはサクサクした衣ができるように周りになにかをつけてから揚げてみよう、と思うなんて。そんなイノベーション。やばい。

火って食べ物に使えるぞ!あったかくなるし!って気付いた人より、油たっぷりの中に食べ物を入れて火にかけたら揚がることを生み出した人の方がすごいんじゃないかと思う。というか火の発明?発見?って崇められすぎ。全然知らないけど。

 

そして!世界で同時多発的に(なのかどうかは知らないけど)鶏肉を揚げ物にする料理が誕生してるのってやばすぎると思います。思いませんか。料理って不思議。そもそもどの国の人もなにかを食べるのってやばいし、朝昼夜の3回食べるのが大抵の人にとって普通なのもやばい。誰かが広めたのかな。うーん。

知らないからおもしろいと思うことをだらだら書いているのでただの無知を晒しているのですが、おもしろいと思ったことを伝えたかったので書きました。

 

リバプールはおもしろかったです。

リバプール行ったよ、その1

リバプールがめちゃくちゃおもろ街だったので記録します。

まず。横浜みたいでした。海沿いの街で、いかにも赤レンガな赤レンガと、門だけ大きなミニチュア中華街があったので。関係ないんですけど「神戸だと思ってた はじめての横浜」みたいな藤井隆の曲がありましたね。さらに関係ないんですけど関係ない話を挟むことが私は好きです。

このブログの目的はTATEリバプールについて書くことではないのですが、旅の目的はTATEリバプールに行くことだったので、TATEリバプールについてもさらっと書かねばならないと感じ、今からTATEリバプールについてさらっと書くことにします。どうせさらっとした文にならないことは今からわかってるんですけど。ちなみに今回の旅はパイセンにお誘い頂いたものなのであります。嬉しいことであります。

さて、もうそれはそれは時間をかけて英語を読んで、なんなら絵を見た時間より解説の解読していた時間の方が長いんじゃないかというぐらいの感じで、でも後半は駆け足だったので解説はざっと見つつ作品はしっかり全部見るような、そんな回り方をしました。電子辞書持ってきたら良かったなと思いました。

続いて、面白かったことを箇条書きします。

・やっぱり曇った国のPIPERの絵は色使いとか雰囲気が暗くて、晴れた日に見たらちょっとつまらなかったです。でも翌日曇ってる日に見たらなんだか納得できました。しかしピカソとかミロの色使いの方が私は好きだなぁと思った。晴れてる国出身で色使いやらなんやらが明るいからなのか、私がスペインに馴染みがありすぎて好きすぎて小さい頃にいちばん見ていたのがその辺の絵だからなのか。どうなんでしょう。よく考えたら日本の昔の絵にも私はあまり馴染みはないし全然知らないから、例えば日本系の絵を今見にいってもそこまでなにかを感じないかもしれないですね。逆に、北斎のトートを持ってる中国人のお友達がいたり、大英博物館のカフェのカップの柄が北斎だったり、私より海外の方がそういう日本の絵に馴染みがあるのではないかと思うぐらい。いや「海外」でくくるなよ、それから「私」と「海外」を比べるなよ。うーん、でも、かといって、小さい頃によく見た馴染み深いものが完全に好き嫌いを決定しちゃう、影響を与えちゃうのか、と言われたら、そうではないといいなぁと思いますよね。キボンヌね。だから、今からPIPERの絵の雰囲気とか、ザ日本みたいな絵を好きになれるような人生でもいいのになと思います。かといって、「小さい頃からの馴染みが好みを決定する」を拒否するというただそれだけのために、直観(直感?)的に好きではない!と一度感じたものを努力して好きになろうとするってのもちょっと違うよね。バイアス〜〜。
(因みに馴染みが好みを決めるのか問題に関連してもう一つ。私が美術館に行って、これ好き!これそんなに何も感じない!を決める要因として無意識的に重視しているのは、その作品自体の色とか形とかより、「こういう意図で作られてまっせ〜」部分かもしれない、なので、馴染みとかってやはり関係ないのかも。でも、この要因はチョッカン的な好き嫌いの話とはきっとズレるので、色使いなどのチョッカン的な好き嫌いは、やっぱり小さい頃の馴染みと深い関係にあるかもしれないと思いました。音楽の好みでも言えそうですなこれは。)

・This Is Offalという映像展示がもう爆裂に最高におもろかったです。誰のせい!それはあれだ!夏のせい!って感じ。うそうそ。いやしかし、自分自身が何によって構成されてて自分の選択の責任が自分のどの部分にあるのか、っておかしな話だな。脳と精神って同義なのかしら、とかとか。手足は脳に完全に従ってんのか、とかとか。それから、個人単位だけじゃなくて、もっと大きな単位での責任のバショ的なテーマもあったんだろうな、すごいね、面白いね。あと、詩、映像、アート、とか色々なものが混ざっている作品なのもポイントでしたね、日本映画の授業で言ってた「sogo geizyutsu」のことを思い出しました。思い出しただけでなんだかいまいち理解はできてないけど。

この2ポイントが特にポイントですね。ポイントって言いすぎね。

はい。ちょっと書いていて飽きてきた。
TATEリバプールについてはさらっとのつもりだったのですが、長くなったので、いったん終わりにします。もっと書く予定だった話は第2弾でよろしく。ではまた。

20151229ソウルセット

ソウルセット終。かっこよかった。魂って感じだった。年末って感じだった。すぎぞーって感じだった。ずっとひゃーって言い続けて終わった。

ビッケさんの声もシルエットも裸足も動きも全部かっこよかった。今日は叫びみたいなコーラスもたくさん聴けてうほうほだった。久々に俊美さんの御姿を拝んだけれどやはり宇宙一麗しいし、今日はノリノリで変な踊りしてたのがかわいかった。私の中ではソウルセット時無口を貫くイメージのかーなべさんが「間違ってない」って言葉を発した事件、そしていつもより笑顔だった感。

アンコールでホフディラン+俊美ビッケのヤードと、まさかの長澤まさみイノセントラブ、夢みたいだった。寝る前にすぎぞーと森進一を思い出すんだろうな。俊美さんが「森進一の時俺が一番笑ってたからな」って主張してたの、かわいかったね。

自分の死がこわいことを知り始める時期、自分の死よりも他人の死の方がこわくてたまらない時期、再び自分の死を意識し始める時期があるんだろうな、みたいなことをぼんやり考えた。ここ1年ほど忘れてたけど、一緒に年を重ねたかった〜的な嫉妬を久々に発症した。1968年あたりに生まれていたかった。自分だけ(どんな集団において”だけ”なのかはわからないけど)生き残っちゃいそうでなんかこわい。

ソウルセットはネガティヴな中にポジティブさがあって、暗いのに前向きで、そういうところがリアルだしLIVEとかLIFEって感じがするし好きだ。今日はライブ中に高校時代のことを色々と思い出して、ソウルセットは私の青春だったことに気づいた(いや、いまだに青春真っ最中だけどな!)。とにかく、ソウルセットは私の青春のバイブル感、あるよな!

そう、バイブルといえば、ベイビーの「ソウルセットは神様」発言ですよ。3人が互いに干渉しないけどなんだかんだ同じくくりでやっている雰囲気、3人でひとつの神って感じかも、三位一体的な、なんて。太陽のこととか愛のこととか歌って世界や人生を賛美して?る感じとか、ソウルセットを拠り所に生きている人たちがいて、確かに宗教っぽさ?まあ誰でもなんでも誰かの神にはなりえるのかもねん。とか言っちゃうと神の意味が軽くなるからなんかアレですが。

ビッケさんの発言について覚えときたいのは以下の2点。うろ覚えで曖昧だけど。
・そーるせっとが神っていう件について「もしそうなら、神って思ってたほどすごくねーな」的な発言
・ホフがヤード終わりに「そーるせっと!」って紹介を言おうとした時の「そういうことしないでやってきたのがサブカルじゃん」発言


よいお年を!