YOUNG GIRL ALWAYS THINK ABOUT SOMETHING

世界で一番ダサいブログタイトル。ライブの話や自分の話を長めに書きたくなると突然更新するやつ。

ちょっとだけ受験頑張った話

私がなぜ受験を頑張ってみたか、について書きます。

誰でも、尊敬する人に認められたい、相手にされたいという気持ちがあると思います。そして、できることならそういう人たちに追いつきたいとか、何かしらの分野で見合う人間に、かなう人間になりたいという気持ち。憧れ。

中2〜中3の頃、私はツイッターを始めました。同年代で趣味の合う人はなかなか見つからず、大人の方々をフォローするようになりました。その中でちょっとずつ自己嫌悪に陥っていきます。
ぶっとんだことを思いつく発想力はあんまりない。正確で分かりやすい上に面白いような文章を書けない。何かを深く分析したり考察したりできない。好きなものに対してさえその全てを知ろうという情熱を持てない。興味のある分野の知識も、それに関する他分野の知識も乏しい。自分が何を思い何を考えているのかを捉えられず、またそれを言葉にできない。自分の頭が悪かったり人付き合いが苦手だったりするのはまだ若いからだ、となんでも年齢のせいにしてしまう。
自信を持てたのは、いい趣味を持っていることだけでした。でも趣味は自分自身じゃないんだから、それは結局自分の自信にはならないというか。
なんで私はこんなに頭が悪いのだろう、なんでこんなに頭が悪いのに皆さんは私に良くして下さるんだろう、私の頭が悪いのが発覚して急に嫌われたりフォロー外されたりしたらどうしよう。どうすればそういう不安がなくなるか、どうすれば確実に認めてもらえるか。
そこで思いついたのが、学歴を手に入れることでした。私は頭は良くないけれど、自分の今の状況(一人っ子で東京で恵まれた学校通わせてもらってて塾も行き放題)を活かせば、学歴なら手に入れられるかも。私は魅力的じゃないから、学歴をまとうしか、ないじゃない(©秋山友近)。頭がいいのと、勉強ができるのとは、違うことだけど、同じことのように錯覚されやすい。その錯覚を利用してやろうという魂胆です。

そんな感じで、一応満足のいく学歴は手に入りました。そのおかげで、逆に頭の悪さが際立つかもしれないけど。これからは、頭のいい人間を目指します。頭の悪さが露呈することをおそれて、考えたこととかを書かないようにしてた時期もありました。でも、なるべく逃げないように頑張ります。それから、人に認められること以外の価値基準を自分の中に作りたいです。
また内容の薄いこと書いてんな〜とか思っても優しくしてやって下さい。

とろサ単独に行くことにした話

もちろんとろサを見に行きたいのは本心。
でも、アキナ単独とか、ろくでなしナックル幕張とかもむちゃくちゃ行きたい。
その中でとろサに行くことにしたのは、やっぱり手売り買って話したかったとか寒い中ずっと外立って売ってるの見てられなかったとか氷河期を見守ることへの勝手な義務感とか、そういう気持ちのせいかもしれない。
アキナはどうせ埋まるだろうし、アイロンヘッドだって見取り図だっていつでも見に行こうと思えば行けるだろうって思う。
でも功太とかとろサとかソラシドとかヘッドライトとかは、見に行ける時に行っとかないとこの先どうなるかわからないっていう変な不安がある。シャイニングするかもしれないし、つばさきよしとかりあるキッズみたいなことになるかもしれない。
心のどっかでは、そんな気持ちで見に行くなよって思う。ライブは自分の見に行きたさだけを考えて、変な感情抜きに選べよって思う。笑い飯とか千鳥とか、ソウルセットとかザゼンとかは、行きたいから行くんだし。
でも、変な感情も行きたい感情に含まれるのかな。よくわからない。
逆にそんな気持ちで芸人さんたちは見に来て欲しいのかなって考えた時、私たちの感情とかどんな理由で見に来たかなんて関係なく、向こうからしたらライブが埋まって笑ってもらえたらいいんだろうと思う。
漫才劇場終わりに芸人にむらがる人々を見て、羨ましいなと思ったけど、別に一緒に写真とったってサインもらったってそれが何なんだろう。
ファンレターとかも渡したいなって思ったけど、相手のどんなところがどういう風に好きなのかを言葉にするのは私の自己満足にすぎなくて、相手にとってはなんでもない。
「好きな人を応援したい」「好きな人と接触したい」っていう気持ちはおかしいものじゃないはずなんだけど、おかしいなって思う。というか、応援ってなんか変だなって思う。

0305極live

面白かった!稲ちゃんは前見た時まだ相方が違う人だったけど、河井ゆずるとめっさ相性いい感じがした。アキナのネタ素晴らしかった。オサレもんで見た選択肢の中間をとる手法も少しでてきた上に、ストーリー性と哀愁がやっぱりたまらんのだ、好きなのだ。秋山が(多分)笑っちゃったのもよかったのだ。ナダルがまわりにバレずにダンソンやるミッションが一番笑った。石山さんが終始ナイスでした。コマダン石井くんは、弱肉強食を理科で習ったと言うはまやねんに対しさらっと食物連鎖のねというアシスト入れるあたりさすが親が理科教師。ハチロクコマダン吉田たちがやっぱり人気あるんだな〜という感じ。歓声はバンビーノが多くてネタはヒューマン氏が一番ウケてたかも。あとは念願の生誠子ちゃん・生田渕・生ナダルが見られて感無量。ちょっとだけ気になったのはbaseの時と比べて客層の雰囲気が東京∞寄りな気がしたことかしら(超絶主観)。私も下品な笑い方したので4月大喜利行く時は気をつける。
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将来の夢について

私が中3の頃にきゃりーぱみゅぱみゅがPONPONPONをリリースしたんだったと思う。
当時は、きゃりーぱみゅぱみゅに興味があることを言うのが少し恥ずかしい気持ちもあったし、逆にきゃりーぱみゅぱみゅに興味があるって言う方がかっこいいなとかも少し思った。そういうことをつい考えてしまうのは嫌なところですな。ともかく、中田ヤスタカ好きだったし、カラフルなものも好きだったから、自覚していなかっただけできゃりーぱみゅぱみゅに興味があったんだと思う。きゃりーぱみゅぱみゅって言いたくてあえて何度も書きました。活字だと噛まないからいいですね。
いや、興味があったというよりも、私はきゃりーぱみゅぱみゅみゅに憧れていたのだと思う。ある町を体現している象徴的存在だし、流行・文化を生み出している存在だし。

アメリカンポップアート展に行った時に、「ポップアイコン」というものを知った。自分の顔や存在自体が消費されちゃうって面白いな〜と思った。なんで面白いと思うんだろうな。自分の顔が大きいポスターとか看板に印刷されて大都市にたくさん貼られてたらめっちゃ面白い。たくさんの人に、それぞれの感覚で自分の顔が受け取られる感じ。自分なのに自分じゃない、顔なのに顔じゃない感じ。確かヘルタースケルター読んだ時もこういうことを少し思った。あまりよく覚えてないけど。
今の時代にポップアイコンが生まれることは難しそうだなと思う。私は、これぞ大衆文化!ってのがあった時代に憧れる。その方がカウンターカルチャーがかっこよく見えそう。アムラーが幅を利かせてた時代のオリーブ少女とか。全部ただの私のイメージだけど。
俺は大衆文化に流されず、自分が本当に好きなものが何なのかを考えてるんだぜ!っていう感じを出したい。しかし、大衆文化があることによってしか得られないそれは、単純に大衆文化と逆のものを好むっていうのは、結局何も考えてないのと一緒。大衆文化もサブカルも何もないような今、皆が好きだから・好きじゃないからってことを昔より意識しやすくなったのか・しにくくなったのか、どっちなのかわからないけど、とにかくまわりに流されず自分の基準を持ちたいと思う。

話がそれまくった。ポップアイコンの話と、現代はポップアイコンが生まれにくそうだって話でした。
私は、人生で一度くらいポップアイコンになってみたい。だから、私のイメージするポップアイコン像に近いきゃりーぱみゅぱみゅに憧れる。でも、私はきゃりーぱみゅぱみゅにも、ポップアイコンにもなれない。諦めたらそこで試合終了論とかじゃなく、普通に考えたら、普通の人はなれない。だから、せめてポップアイコンに関係あることをしていきたい。

そこで、私の将来の夢は、「何かムーヴメントを起こすこと」に決定いたしました。自分がポップアイコンになれなくたって、それこそさんざんしてきた顔が消費されるのがどうのとかいう話は実はどうでもよくて、私は流行を、「文化」を生み出せたらよいのです。俺は社会に迎合しないぜ!っていういつかのどこかの誰かさんみたいな人をギャフンと言わせるような大流行を。誰が評価してるとか、あの子が嫌いって言ってたからとか、そういうことを自分はつい気にしてしまう。だからこそ、そういうのを超えた、誰もがうなるようなものを生み出したい。

という、きゃりーぱみゅぱみゅと私の将来の夢の話でした。
サイタマノラッパーを見て自分に夢すらないことに気づいた高1の頃よりは成長したのでは。俺たちまだまだ伸びるぐんぐぐーん!
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