YOUNG GIRL ALWAYS THINK ABOUT SOMETHING

世界で一番ダサいブログタイトル。ライブの話や自分の話を長めに書きたくなると突然更新するやつ。

シェイプオブビスブラ

たくさんのネタバレが出てくるのでお気をつけください。

 

今回は、私がビスケットブラザーズにハマりすぎてどうしようもない、という話をします。

なんでここまで没入しているのか。配信ライブ(「電気」)に出ていて面白かったとか、出演番組などの供給が安定しているとか、色々な理由はあるのですが……。

ビスブラの高級キャバクラのネタにめちゃくちゃ好きなシーンがあって(あとで解説)、今まではただ好きだと思っていただけだったのが、いやこれ完全に私のネタ癖(お笑いにおいて、こういう要素出されたら問答無用で好きになっちゃうわ……という性癖みたいなやつ)だな!と気付きまして。

気付いちゃった途端に、一歩深い愛着ステージへ進出。気がつけば四六時中ビスブラのことを考えています。笑い飯千鳥にハマった中高時代の感覚が蘇ってきます。

 

さて、私の好きな映画はシェイプオブウォーターです。何が好きなのか。圧倒的運命感!とでも言いましょうか。

あの2人は、出会うべくして出会ったんだろうな、と思うし、なんなら出会うために生まれ、あの日まで生きてきたのだろうな、と思うし、ラストではしっかり結ばれて、いるべき場所で、あるべき姿に戻れて良かったね、本当に良かったね、と解釈しています。

この人にはこの人しかいないのだ、という宇宙における究極の1:1の関係性に、私はウルトラロマンチックを感じます。これが私の癖(へき)ですね。

加えて、全てを捨ててでも、相手のために全身全霊捧げて、奔走いたします!みたいな無茶な女性主人公のお話が尚更好きだったり。

千年女優が好きなのもこの辺の理由からだな。

あとは、君の名はもね、大号泣したし、こんなお話が私にも書ければ……と悔しく?なったことを思い出します。

 

まあこのように、巡り会うべきして巡り会う、宇宙の半分ずつみたいな関係、そしてそんな出会いによって生じるパワーみたいな要素が大好きなのです。なんで好きなのか?まではなかなか言語化が難しいのですが。

 

さて、2019年のKOC。

ビスケットブラザーズに衝撃を受けました。それこそ、私はビスブラに出会うために生まれたのでは?というレベルの運命的な出会いを果たしちゃうわけです。

だってあまりにも、私のテーマ全部盛り、みたいなネタで。友人たちからも「漱石を思い出した」「絶対好きって言うだろうと思って会う前に見返してきた」と言われました。一生感謝メン。

 

このネタについては、あまりに好きなところが多すぎるので、先に今回の文の趣旨とは関係のない点を3つお話しします。

その1:

以下のツイートを鮮明に記憶しています。

https://twitter.com/hiko1985/status/1175360505168322560?s=21

「わが星」自体は見たことがないのですが、友人にロロの公演に連れて行ってもらった時に出てきて、その一部だけでも衝撃を受け。こういう「リズムを見た時の感動」を私も生み出したいな〜と思って模索していた矢先のことでした。これじゃん!と思った。慌てちゃったよね。理想的、完成形、もう私にできることはない!みたいな気持ちになったな。

その2:

名前の呼び方の変遷シーンも素晴らしい。「夕暮れゼゼミ」に関するnoteにあったように、また、私が「ふれる」でもテーマとし、完全に『A子さんの恋人』に敗北したように、本当の名前とか呼ぶ呼ばれるみたいなテーマが死ぬほど好きです(これは私のアイデンティティとしてあだ名&名前ががすごい位置を占めているから、だろうな。そもそもアイデンティティという言葉、好きよね〜)。ビスブラ、その要素もしっかり抑えてくれています。いや〜ん。

その3:

「大人になって知らない街に来るのは不安やな」という1行による深み。自分が仮にこのお話を書いてたら、そんな1行を入れようとは思わないな〜って思う。大好き。

 

脱線しました。

その1のツイート内に「君の名は」があったように、これもどうしたって巡り会ってしまうハイパー運命を題材としていますね。

ずっと上ばかり/ずっと下ばかり の対比も美しいのですが、そのように、街を飛び出してから長いこと彷徨った結果、再び巡り会ってしまう2人。記憶もなくしているのに。しかも、2人が引き寄せられることにより強力なパワーが生じて、「全て思い出した」に繋がるのだ、たまらんなこれは。

 

でもこの段階では、めちゃくちゃ好きだな〜止まりで。燃えるようなどハマりに発展するのは、高級キャバクラのネタを見て、自分の癖に気付いてからです。(以下マジネタバレなので気をつけてね)

 

きんさんが高級キャバクラに客として訪れると、出てきたのは自分に瓜二つのキャバ嬢、マリナ(原田)。自分にそっくりすぎてチェンジをしたのですが、このキャバクラでは、チェンジされたキャバ嬢たちが檻に閉じこめられてしまうのです。きんさんはマリナを助けることにするのですが、これがどうやって助かるかというと!!2人で同時に鉄格子を持って、「私たちは、そっくり」と唱えると、鉄格子がぐにゃんと曲がるんですね。

なーーにーーーそーーーーーれーーーーー!!!!!最高!何それマジで!最高!!!!

もちろんこのシーンは、ここまで述べてきたような恋愛的ロマンチックさとは違います。しかし、そっくりな2人が出会い、そのそっくりというパワーで鉄格子を曲げることができるのだ。これは恋愛とかでは括れない、強い結びつきです。

このシーン、なんとなく好きだな〜と思っていたのですが、よくよく考えれば、KOCのネタ以上に、シェイプオブウォーターの好き要素に近いかも。自分の似姿と出会えたことによる解放なのかな〜と。

この要素に、私自身が肯定されるような、わたしはわたしのままでいていいのだ、と思わされるような、そんな感覚になるのかもしれない。

 

はいはい、考えすぎ考えすぎ。

でも多分、わたしも早く、わたしに出会いたいんだろうな。いや、もう出会ってるかもしれないな、わからないな。

 

ちなみに、この「似姿」というのは、宇多さんの花束みたいな恋をした評で聞いたフレーズです。(まだ映画は見ていないので早く見たいね。)

おそらく現実世界で出会う「似姿」をテーマとした作品(例えば趣味や価値観の一致などリアルな恋愛を描く物語)だと、また抱く印象が変わるんだろうな。

でも、シェイプオブウォーターやビスブラのネタは、あくまでファンタジー世界の中でそれが描かれるし、かつ、その世界が多少の闇やグロさを抱えているので、私のようなひねくれ乙女でもスッ受け入れられるのかもしれません。それで余計に好きになっちゃうのかも。

 

 

いやこんなに長々と話してないでさ。

働こう。

たしかに。

悶々2月/市場価値

年始に目標を立てた。

その進捗はあんまり良くないし、その進捗が良ければこんなに悶々としていないのかもしれないし、そもそも目標の立て方が良くなかったかもしれない。でも仮に目標がよくなかったと気付いたんだとしたら、この2ヶ月弱で既に新しいことに色々気が付けたのだ、とも言えるか。

 

もう悩むことが趣味で、解決には興味がないのかもしれないけど、とにかく悩んで落ち込んでいる。クサクサ。

 

この2ヶ月、びっくりするほど平穏で幸せで本当にびっくりしていた。だけど、予想通り、いつもの焦燥感みたいなのがダッシュで襲ってきて脳みそをギューってしてくる。PMSもあるかもしれんが。

本来、私は周りの友人たちのことが好きなだけで、趣味とか文化とか本当はきっとなくても生きていけるタイプなのだ(わかんないけど)。だから、好きな友達たちとコンタクトがとれて美味しいものが食べられて一緒に遊んでいられたら超生きていける。そういう人生を所望。

いやしかし、そんな日が続くと、「自分の市場価値を上げなければ」という変な焦りが湧いてきてしまう。なんなんでしょうね。

例えば名前の売れている人を見ると、羨ましくなるというか、落ち込む。何かしらで仕事や依頼がどしどし集まるような人である。そうなりたいという気持ちより、そういう人を見て相対的に自分は下層の人間だなぁと思って焦るのだ。別になりたいわけじゃないのに、焦ってしまう良くないやつである。

で、別になりたいわけではないから、焦りはするけど、「どの市場での価値を上げれば?」「何をすればいいの?」となるわけで、ネクストステップは特にない。こうなると、目的もなくとりあえずばんばん予定を立ててみたり、仕事を増やしてみたりと手を広げる時期に突入するのが私のセオリーである。本来そういう人じゃないから、その後パンクしていくのだが。

さらに、売れてる人っていいな〜と思ってはいるが、結局何にも責任を負いたくないし、プライバシーは120%守りたい。誰も不快にさせたくないし、自分のせいで何か起きたら困る。だから自分の名前で何かを成し遂げたくない。でもでも知られたい。的な。なんやねん。

マジでこういう承認や認知や評価みたいなものを望む気持ちは本当の本当に最悪である。最悪だ。

 

 

で、悩んでいる具体的なことたち。

 

①今の会社にずっとは居られないということ

だから尚更、あと数年のうちに、労働市場における自分の価値を上げなければ、と焦っているのである。

そんで、自分の名前で売れてフリーランス的に生活できているような人とか、起業してうまくいってる人、知識がしっかりあって仕事をばんばんしている人、引く手数多の人、余裕で転職しまくっている人、などをSNSで観測して「どうしよう!」ってなる。

本当は、別にそこそこで働き続けて生活に支障がなければOK、と思ってはいるのだが、その状態が意外とリアルにイメージできない。だから、前者のような「確実にその人にしかできない仕事があると認められている人」を見ると、こういう人の方が食いっぱぐれなさそうだから、本来こっちを目指すべきか?という、おそらく私にとっては誤った思考回路にどんどん導かれてしまう。

いや、その人たちがすごいことは合っているんだけど、私には絶対そういう生き方は向いていない。多少の転職はしつつも極力安定した大きめの会社に居つづけて、その中でそこそこやりたい仕事(これが厄介)をしてそれなりの給料もらって人生を終えたいのよ。

そのファーストキャリアとして、今の会社はそこまで間違ってないとは思いつつ、かといって他の会社がどんななのか知る由もないわけで、転職ってどんなものかも知らないわけで、ずっと焦っているわけです。

まあ今の仕事は今の仕事で楽しいんだけど、より成長するために何が必要なのかよく考えていません。ここへの焦りもありますね。

 

空気階段の単独が良すぎて落ち込んだ

良すぎたことについては、直接皆さん話しましょう、是非。良かったよね!という連絡をください。もう良かったところしかなかったな。

落ち込みその1

ラジオという媒体に全然触れずに生きてきたコンプレックスを高校の頃から抱えているのに、どうしても習慣化されないまま24だな。最近はテレビも見られていない。マジで結局何も好きじゃないんじゃないのお前、という感じだ。でも特にラジオが苦手で、私は何かをしながら音声を摂取することができなくて(内容を聞き漏らしてしまう)、かといって音声だけのメディアに集中する時間を確保することもできない(ただの怠惰だけどついLINEやTwitterを開いてしまう/テレビは映像がある分他のものに気を取られずに済む)。暇な時間があったら人に電話しちゃうし。そんなこんなで本当に触れてこなかったら、気付けばお笑いは見ないけどラジオは聞いてるみたいな人も増えてるし、みんなラジオ好きだから友達との話も合わなくて、落ち込む。みたいな落ち込みをズバリぶっ刺されてしまった。

その2

良すぎるコントをみると、自動でかつての辛かったことがフラッシュバックする仕組みが出来上がっている。悔しい!みたいなアレではなく(そんなの畏れ多いとかすら畏れ多いべ)、私が面白くないせいでごめんなさい、という皆さん聞き慣れたいつものアレなのですが、これ本当にいつまでもなおらないんですかね。落語は1人だし大会にも出なかったから、自分で自分のことを愛せる方向に向かいやすくて良かったな。それを応用して、きっと大会とか評価とか面白いと思われることとかを意識せずに、「自分が面白いやりたいと思うことをやる」を目標にしたら少しはマシになるんでしょうけど、やっぱり相手のいることだと色々難しいよね。でもほんとに、私は面白くないし色々下手だし、嫌になるな。

 

③自分の頭の悪さと教養のなさ

歴史とか政治とか社会とか思想とか哲学とかジェンダーとか経済とかビジネスとかカルチャーとか、私はあまりに知識や教養がない。これだけは詳しい!これは任せて!みたいな分野がない。映画のレビューとか読んでいてもわからないことだらけだし、ポストほにゃらら、とか、〇〇イズム、とか、社会の何かしらの文脈の中で対象が語られていたら何もわからなくなっちまうし、尚更、自分が何かを語るなんてもってのほかである。中高大、なーんにも勉強してこなかった。あんなに勉強してきたのに、何もかも残っていない。脳が空っぽ。なんなんだろう。本当にバカすぎる。どうしようもない。

 

 

そんな感じですね。他にも細々落ち込んでることはあるんですがまあ置いておきましょう。

全部整理するとスッキリだけはする。

ここから解決にはどう向かうか、を超絶具体的にしないといけないんですよね。

それを行ったのが1月の目標設定だったんだけど、またちょっとずれてきてぶれてきているので、多少目標を更新することも考えてみます。

 

遅。

リア充コンプレックス

第1章 リア充コンプレックス

(今日のブログは第2章まである。内容はほぼ同じなのだが、何故か書いていたら分かれてしまったのだ。パンゲア大陸みたいなこと)

 

更新頻度は謎ですが、このブログについて私は忘れたことがありません。常に頭の中にこのブログのことや、書こうと思っている内容はあって、よしそろそろ書くかと思うと半年とか1年とか2年とか経っているんですよね。

私は全てそんな感じで、見逃し配信も見逃すし、読もう読もうと思ってた本が読もうと思ってから5年とか経ってるし、映画館も美術館も期間が終わっちゃうし、LINEもうっかり返せなくて(申し訳ありません)、でも本当の本当にちゃんと覚えてはいるのです。

 

コロナが再びやばい雰囲気になっていますが、最近実は予定ギチギチの癖が戻ってしまいました(対策はしています)

世間がより一層超絶Stay Homeだった時期は、自分の時間をちゃんととることが可能になってしまい、これで映画見てないラジオ聞いてないなどのコンプレックス払拭やんけ!ビバ!!!と浮かれていた のも束の間。

あの打破はあくまでも外部要因によるものだったわけで、徐々に出掛けますか〜となって以降、私はまんまと以前の予定の詰め方に戻ってしまったのである。予定の詰めかた。ガソリンの揺れかた。

 

前にも指摘されたのですが、ありがたいことに私はリア充なのです。陰陽キャみたいな議論はさておき、本当にありがたいことに、多分このブログをわざわざクリックしてくれているような、画面の前のあなたたちです!各位と1:1でランチからのカフェ〜などでルンルンしていると、本当に毎日が埋まるのです。平日夜も週に何度かは人と会い、土日それぞれ昼と夜で1グループずつ会って、空いてる日は最近会えてない人と電話やLINEをするので。

本当に皆様のおかげです。ラヴぃ生活。くるりとRIP。自分の時間がないとダメ系の人間ではなく、本当に常時人とぴっとりしていた方がむしろ生きやすく。こんなことになってしまいます。

 

この生活にマヂ満足しているので改める気が結局のところないのですが、支障というか落ち込むことも多少ある。本読む時間がない、録画見る時間がない、ラジオ聞く時間がない、映画見る時間がない、などの自分の時間がないこと。ただ、ないことによって、アレ見たいんだが💢というよりは、「私にとってエンタメの優先順位って低いんだな〜〜〜そんな人間なんだな〜」という気持ちによって落ち込みます。

そしてなんなら、エンタメ消費をしていないことにより、面白みのある人間ではなくなっていくので、私の生活を支えているお友達各位が、徐々に私に刺激を感じなくなり、離れてしまうのではないか!という!問題!が!ある!

 

とは言ったものの、正直、私が特に面白くなくても、優しいお友達たちは仲良くしてくれると思う。そんな表面上の部分でつながっているわけじゃないなって思うから。そういうことには自信を持てる、へへへ。みんなありがとう。

でもでも、やっぱりお友達にとっておもろい人間で在りたいし、「あ、今日わたし相手にとって何も新しいことを提供できなかったな。これ次回会ってもらえないんじゃないか」というのは常に思いながら人と会っています。人様の時間を頂いているのに、何も相手のためになっていないのはやっぱり焦りますね。結構それで実際に、多分私に価値を感じてもらえなかったから、次に繋がらなかったのかもな、と感じたこともあります。いや、全然別の要因かもだけど。

さらに、友達はやっぱり増やし続けていきたいし、尊敬する人と話せる機会が突然降ってきたりもするわけで、さらには浅い付き合いの人ともそれなりに会話を楽しめる私でいたいですし、そんな時にやっぱり引き出しの多さは大事なのであります。「あ、それで言うと最近〇〇を見たのですが……」という会話をしたい。

 

が、結構何年も消費や摂取を怠っているので、いざという時にいい感じの話ができないのよね。これは良くない兆し。なんかしらの学問の理論とか失敗ルートとしてありそうですよね。

 

となると、結局多少の「自分磨き」「消費や摂取」をしておかないと、私のこの日々は長続きしないわけでございます。で、じゃあやっぱり結局わたしは他者との繋がりのためという目的を持ってしかエンタメを摂取しない人間なのかよ!問題もあり。お笑い見ないと生きていけない、音楽聴かないと死んでしまう、みたいな生粋の人間ではないのか。

いや、うーん、全くそうでないわけでもない。うん。これを見ないと倒れちゃう!!!絶対に見たい聴きたい!みたいにみなぎる愛も、勿論持っています。ただ、完全にオタクになれることが少なくて、「この1曲」みたいな好きになり方で、出演番組全て網羅しようベクトルに向かないんだよねぇ。昔それで疲れちゃったので。でもこれも落ち込み自分嫌いポイントなんだなぁ。

 

こんなですけど、これからも仲良くしてくれたら嬉しいです。もうちょいマシなおもろい人間になるよう精進はしますので。

 

 

 

第2章 産む

 

漠然と、産むことについてなんとなく意識をしている。無意識に常に意識はしている。うまく言えないけど。

先ほどの話とも繋がるが、毎日全然時間がない。

その時間のうちのそれなりの部分を占めているのはお仕事なのだが、このお仕事が非常〜に中途半端なのである。めちゃ残業仕事終わらない生活=仕事!というほどは今のところ忙しくないが、終わるとそれなりに疲れるから退勤後にガッツリ何かをする余裕はない。やりがいに関しても、なかなかに興味のある内容ではあるのだが、これまで人生をかけてきた心から好きなものに関われています、というほどではない。そこそこの楽しさ。微妙なんですよね。かつ、定年まで働けそうな会社でもないから、何かスキルをしっかり身につけて次に繋げないと食えなくなるぞ…みたいな焦りを常に持ちながら、ちゃんと貯金をしながら働かないといけなくて、なかなか疲れる。

この中途半端さはまあちょうど良いんですけどね。

 

たとえば、趣味と直結した仕事をするとか、食いっぱぐれなさそうなすげー頭脳派の仕事をするとか、そういうの選んだ方が良かったのかな?と思うこともある。起業でもして捧げたい分野がないわけでもないかも!もっとすごいブリブリバリバリの人間になりたい!なんて思う日もある。でも、これらの仕事は基本的に夜の稼働や休日の稼働が必要であり、となると第1章のMyマヂラブライフが崩れてしまう。そして、漠然と意識している産むに支障も出そう、とついつい思ってしまう。実際今の仕事ですら、ちょい忙しいぐらいで体調を崩したし、私は毎月1週間ほどめちゃくちゃイライラしたりウワーってなったりするのでややこしい。

あとは、もっとアイデアで人を動かすみたいな仕事をしたかったなーって思うけど、そんな面白さもないし、こうやって言い訳してしまう性格の時点でなれない。バイタリティも向上心もない。(向上心がない話はまたいつかしますね)

さらには、自分の名前であんまり仕事をしたくない。たまに自分のうつっている動画をあげたりはするけれど、全く知らない人に届きまくったり、認識され特定されたりしたくないなと思って生きている。プライバシー姉ちゃんなの。

半径いくらかのなかよぴ達と一緒に生きていきたいんだよなぁ。

(と言いながらも、あの人とお仕事したい!とか、憧れの人に認知されて私の創作を認められたい!!!とか、そういう気持ちは死ぬほどあります。うえーん。頑張ってないくせに!)

 

まあ何かを成し遂げるにはどれかを我慢しないといけないのはわかる。

けど、そうなった時に私は「人と過ごす時間」とか「産む」のプライオリティが結構高めなんだろうなと思う。リア充なのです。

このプライオリティこそが、私が私をあまり好きではない理由かつ、私が私をそれなりに好きである理由だなぁ。

 

 

第3章 おまけの毛の話など

 

私は毛を剃りたくない。腕とか足とか。必要だから生えているのに。でもその理論が通じるなら爪とか髪も切るなよ!と言われますかね。あと眉毛はあんまり必要じゃなさそうだし、逆に首には毛がもっと生えているべきではないだろうか。

最近は少し活動的になったので、「皆さん見てください!!!」系のお知らせが来年もできたらいいなと思ってます。今年もたくさん関わって頂きありがとうございました。引き続きよろしくお願いします。

最近会ってない人は気軽にLINEください。

2020年5月の記録

初任給で終日グラスを買った。いぇい。行ったことないので。初めて行く日の前に、閉まっちゃったら困るので。
それから下北沢珉亭のトートバッグと、Candy Stripperの洋服も買いました、ハッハッハ、届くのが楽しみです。お金は、入れば、出ていきます。

「Say So」の日本語バージョンにどハマりして、それしか聴けなくなってしまいました。日本人じゃない人が日本語カバーを作るってめちゃくちゃおもしろいな。KOHH以降感のあるラップって言われてるのも見ました、おもろいね、キュートガーリーかつKOHH感なんて、素敵だわね。(あとそういや関係ないけど重盛さと美もよかった)
それから、この曲への好きだ〜の感じ、P.O.Pのトラックへのそれに近いなって思いましたが、音楽のことはよくわからないので、曲調が似てるかとかそういう話はできまへん。とりあえず、やったぜ in da LIVE HOUSEのチケットをポチッとしました。わーい。

最近は、映画を多少見るようになりました。好きな映画を4本挙げるタグがまわってきて、4本考えてみたら、邦画洋画アニメなどジャンルはそれぞれ違うのに、4本とも女の子が突き進みすぎるようなストーリーのものになっちゃってびっくりしました。

あとは、多少身だしなみというものへの興味が出てきています。人と会わないので、安心して化粧をすることができます。人と会う時期は、自分が化粧をしっかりしている、という状態が、自分らしくなくて、恥ずかしいので、あんまりできません。
洋服も、大人っぽい寄りのものをいくつか買いました。しかし着て外に出たことはまだありません。今まで、どこかに出掛けるたびに(特にライブ)、自分の格好がモサい、垢抜けていない、でも何をどう変えればそうではなくなるのかわからない、という悩みを抱えてきましたが、買った服たちを着てみたら、少しはマシでしょうか。それとも、私である限りモサいのでしょうか。

働いて、というほどでもないですが、2ヶ月ほど、今までとは違う組織に属して、勉強と仕事の違いについていくつかの気づきをしつつあります。そして改めて勉強の必要性を感じますが、何をどう勉強したらいいのか、まだわかっていませんし、何よりそこまでの向上心がないので、てきとうにお金を貰えたらまあなんでもいいかな〜という気持ちもあります。別にどうでもいいし私の人生と関係ないし〜という私的には真っ当な惰性と、アレとアレを勉強してコレをもっと効率的にして何歳までにはどんな役職に…というこれまた真っ当なやる気が、5分おきぐらいにやってきます。
結果、何もしてません。
他にやりたいことがたくさんあるし。でも多少は大成したいな。どうだろうな。
外に出られるようになったら、もうちょっと向上心も戻ってくるだろうし、カフェなどに行けるようになったら、もうちょっと勉強できそう。そういうことにしておこう。

わかってほしい!!!わかってほしいんだが!!!と思うことが減りました。なんでしょう、大人になってきたのか、わかってくれる数人がいる感じに満足してきたのか、インターネッツに飽きてきたのか、なんなんでしょうね。かといって相変わらず感情は激しいです。

大学時代は創る側の意識があったんだけど、最近は消費する側の意識の方が強いな。落語とかそういう活動をしていないので。お仕事の方が生産的な行為のはずなんだがなぁ。
外出できず膨大な時間が与えられたことで、映画見てない、お笑い見てない、ラジオ聞いてない、みたいな消費面のコンプレックスを克服することができましたが、これが落ち着くと、今度は創作面のコンプレックスがでてきます。ないものねだりチック。
私作る人、私食べる人。
地図も読めるし話も聞ける女。

それではまた対面で。

並行世界と間違いと肯定

私は「並行世界」に思いを馳せがちである。東京都心はパラレルワールド。わたし、遠い未来にあなたとまた出会うでおなじみそうせきです。

小沢健二の『流動体について』という曲の次のようなフレーズがある。

 

もしも 間違いに気がつくことがなかったのなら?
並行する世界の僕は どこらへんで暮らしているのかな
広げた地下鉄の地図を隅まで見てみるけど

 

「間違い」という非常にリアルな重みのある断言的な単語から、急に「並行する世界」という曖昧で現実味のないところにワープするというギャップが、可笑しく不思議な歌詞である。「間違いに気がつくことがなかったのなら?」という表現からは、いつかのタイミングで、彼は間違いに気づいた、ということが言えそうだ。そうして、気づいた結果、今の道を選択しているのだろうと考えられる。となると、今現在は間違っていない、正しい世界にいる、ということになる。

この歌詞においては、人生の中にはっきりとした正しさ、間違い、といったものが存在するということになるだろう。

にもかかわらず、彼はふと「並行する世界の僕」について考えているのだ。それは、<正しい今>と比べて、間違っているかもしれない、失敗してしまった世界として想起されるのだろうか?

私は、決してそうではないと思う。この「並行する世界の僕」は、ただただ「並行」している世界に過ぎず、そこには間違いも正しいも、何もないのだと思う。フラットな気持ちで、ただ、ふと思い返しているにすぎない、と思うのだ。

むしろ、「間違い」という単語によって、明らかな正しさが存在する可能性を示唆してしまったことを弱め、結局絶対的なものなんてないのだ、と思わせる効果がある。つまり、ここで並行世界に思いを馳せることは、そもそも間違いや正しさなんてどこにもないのだ、と、すべてを肯定する役割を果たしているのではないかと思う。


このように並行世界に想いを馳せる歌詞は多く存在する。例えばPUNPEEというラッパーの『P.U.N.P.(Communication)』という曲の歌詞は、先ほどの小沢健二のものとは逆方向からの視点でそれを描いている。

 

これなきゃ何やってたんだろうな
どこかで間違ってたんだろうな
いやどこかで間違ってこうなって今君とはなしてる
あそっか

 

「間違い」という言葉を用いて並行世界に想いを馳せる展開は先ほどの小沢健二と一致するが、PUNPEEの場合は「今」の方が「間違ってこうなっ」た結果である、としている。

しかし、そのあと続く「今君とはなしてる」は、私の解釈では、決してネガティブなものではない。まず、「間違って」というネガティブな文脈、状況の中で「君とはなしてる」というのは、「出会わなければよかった」というような意味として解釈できる。しかし、この歌詞ではおそらく、「君」と信頼関係があった上で、「君」との出会いや「君」と今こうして話していることを茶化すことにより逆説的に肯定、祝福するような意味あいが込められていると感じる。いわば照れ隠し的な、信頼の上で皮肉的に肯定している構図が見て取れる。(このような歌詞の作り方、何より、色々あった上で訪れている現在の状況のメタファーとして「今君とはなしてる」という状況を用いる表現は非常に美しくセクシーだと感じる。PUNPEE好き〜)

さらに、最後の「あそっか」という、とぼけた感じのする4文字も、非常に大事な役目を果たしている。この「あそっか」は、何に対する気づき、納得なのだろうか。間違って訪れたのかもしれない今、君と話せているということは、間違ってここにきてしまったけれど、別にそれで悪くはないな、と「今」に対して納得したことを表しているように私は思う。このように、小沢健二とは逆方向から「間違い」や並行世界を捉えたPUNPEEの歌詞もまた、結局は、現状も、そうではない可能性も、すべてまとめて肯定するようなニュアンスを感じるものである。

 

さらに紹介したいのは、小沢健二の様々な曲にインスパイアされたと私が勝手に思っている、SHE IS SUMMERの曲だ。

 

 新しい恋人ができて 思い出は救われてく
 生きた日々は重なり ふたりを結んでいく

 

『エンドロールの先を歩く』というタイトルの曲の一部だ。このタイトルは、一度終わったと思われる物語にも、さらなる先がある可能性を示唆している。

ここでは、例えば、「新しい恋人」というワードがでてくる。一見「今の恋人」を否定し、いつか訪れる別れを予見させる寂しいもののように思われる。しかし、それが「救い」になり、今の恋人と共に生きた日々も、もしかすると新しい恋人がかつての恋人と生きた日々も、重なって、また新しいその先の物語が生まれるのだ、と肯定していく。

この歌詞に出てくるような世界は、時系列として今と並行とは言えない。しかし、このような「物語が終わらなかった可能性」(もしくは終わった可能性、か。これも「間違い」なのかもしれないね)という、まるで現在と並行するような未来も、一種のパラレルワールドだろう。ここではそんな未来がポジティブに捉えられているのだ。

 

並行する世界、過去の選択を今とは違うものにしていた場合の今、について、我々はしばしば想起し、後悔したり、逆に今を正当化したりする。誰かを責める時にも、「あの時ああしておけばよかったのに」とつい言ってしまったり、「たら」「れば」で話すと不幸になるよ!といったセリフをよく耳にしたりする。しかし、フラットな気持ちで、全く違う選択をしていた場合の私についてぼんやり考えてみることは、素敵な行為だ、と思う。ぐちゃぐちゃに悩んでしまったりもする今からのエスケープであり、また、それによって、結局は「完全な正しさなんて存在しないな」という真理に気づかされるのではないだろうか。

 

 

言ってみりゃ、並行世界に想いを馳せることと、今、同じ時を過ごしている誰かについて考えるのも、ちょっと似たようなものかもしれない。そんなことや、オザケンのこと、そしてホフディランの『TOKYO CURRY LIFE ~邦題・東京カレー物語~』みたいな話は、またいずれ。

街中でつづいてく暮らし。

記録欲、またはおうちエンタメのプレシャス化計画?

全部読む必要はない。

要するに、これまでTwitterにしか載せてこなかった、テレビや配信の摂取も、積極的にインスタに載せて、「家でコンテンツを消費すること」を自分のなかで大事でプレシャスでラブリーな行為として認めていこう、という話、だ。

それをめちゃくちゃ長ったらしく書いている。以下。

 

 

ライブに行けない。これは結構困る。

ライブに行く行為には、その前後の様々な要素が含まれるよねぇという話を先日友達とした気がする。

ライブ前に待ち合わせて一緒に見て終わった後ご飯を食べたりして帰ってツイートしてインスタにあげて感想に反応がきたりあの人も行ってたのかってなったり後日そのライブの話で別の誰かと盛り上がれたり、数年後に実はあのライブで既に会ってたんすねふふふみたいなこともある。ライブに行けたことで仲良くなれた人とか、今でもあれは思い出だわ!なんつー、こう、憧れの先輩とか大好きな後輩とかと行ったライブもあるしな、あとは普段2人では出かけられないような人と出かけられちゃったりもするよね。はわわ。

 

そんでね、私は結構、見に行ったライブをインスタ等に「記録していく」という行為が好きなのですわ。例えばFilmarksにもハマっているし、こう、どんどん記録がついていったり、達成欲が満たされたりするものって、楽しいしモチベーションが上がる。単純だな。

いやいや、形式よりも内容ですよ奥さん、あんたなんのためにライブ見てるわけよ?SNSで顕示するためにライブ行ってんじゃねーよ!という話ですわ。そりゃ。いやでも、結局そのへんも含めて自分が楽しいならそれでいいかーと思う。思うな。

むしろ、記録そのものが目的になってしまったとしても、それでいろいろ見たりするようになるのであれば、別に悪くないよね、楽しいことだよね、と思う。これはFilmarksが証明してくれている。ありがとうFilmarks。とにかくライブに行ったことをインスタに記録するのが好きだ!わたしは。

 

話は戻る。ライブに行けないわけですよ。たくさん払い戻されたり延期になっちゃったりで、とほほっているわけ。

その代わりに、全然追いきれないぐらい、いろいろなコンテンツが配信されています。毎日少しずつ、今日はこれを見よう、ここまで課題が終わったらあれを見よう、という、なかなか楽しい毎日を送っています。

さらには。ここ数年「リア充」すぎて(というのは、もう、ずっと、出かけていない日がない、毎日2,3個の用事があって、家にいる時間がほとんどない、という日々がなんだか続いておったのです。私はなかなかにアクティブで甘え上手で良いお友達に恵まれているのであります)、テレビを見る習慣すら忘れさってしまっていました。それが、最近徐々に見られるようになってきて、TVerにアクセスしたり、テレビの録画予約を整理してみたりしているんですね。気付いたら1週間経ってしまってた!とか、あれ昨日放送だったじゃん……とか、そんなことがなくなってきました。嬉しい。中高時代みたい。

 

でもねでもね、やっぱり、配信コンテンツとか、テレビの録画とかって、ライブを見に行った、友達とご飯に行った、みたいな行為と比べると、記憶に残りづらい。もちろん、何年も覚えている神回だってあるけれど、毎週放送されているうちの一回だし、たびたび反芻することは稀な気がします。テレビはまだしも、ライブの代わりにせっかく行われた配信が、なんとなくで見て、面白かったな〜っつって、自分の記憶にあんまり残らないのは(自分のせいかもしれないけど)なんとも釈であります。

でも、私が私の中で、それをサラッと消費しちゃっている感じがある。

 

で、また話題がちょっとかわって、私のTwitterとインスタの使い方みたいな話。Twitterには、リアルタイムで見ている何かについて書くこともあれば、行ったライブの感想も書くし、普段なんとなく思ったことも書く。一方で、インスタは、ほとんど日記と化していて、行った場所や会った人、食べたものを撮った写真を通じて、日々を記録するために使っている。どんな写真か?はあんまり大事じゃなくて、その日を表す記号という役割しか果たしていないものもある。

そんな自分の線引きもあり、これまでテレビや配信を摂取したときには、基本的に、Twitterに書くことはあっても、インスタに載ることはなかったわけです。どこかに行った!わけではないし、写真も別に撮らないし。

でも、「記憶に残るかどうか」が、私の場合、インスタに載っけたか?に左右されがち、という恐ろしい状況があります。書いてて本当に恐ろしいな。インスタに記録した=何か行為をした、というような脳の認識の箱みたいなものがあるんだろうね。洗脳っぽい。

しかも、自分の過去のインスタは時折見返すんだけど(ノートの日記も読み返すタイプ)、ツイートは別に見返さない。反芻するかしないかは、インスタに載せるか載せないかに、結構かかっているのよね。

 

 

はい、長々書いてきたけど。まとめます。

 

まず、記録をすることは、記憶の定着にも、行為の継続のモチベにも役に立つわけです。

そして、今抱えている悩みは、せっかくライブの代わりに様々なコンテンツを楽しめるようになったのに、それが自分の記憶に残りづらいことです。かつ、また忙しくなった時に、配信を見ることなどを続けられるか不安でもあります。

だから、ライブやお出かけのようなリアルな体験ではない、家でテレビや配信などを鑑賞するような行為についても、インスタに記録してみることで、記憶に残りやすく、かつ行為自体へのモチベーションが高まるように過ごしていきたいなというわけです。

 

これは、要するに、自分の中で、「家でコンテンツを消費すること」も、とっても大事でプレシャスでラブリーな行為として認めていこうって話、なのかもしれん。(2回目)

獣道 メモ

内田英治監督『獣道』のFilm Screeningに行ってきました。上映後のトークがいろいろ面白かったのでノートにメモしたんですけど、多分こういうところに記録しないと私は見返さないなと思ったので、自分のために記す意味も込めて共有します。

その前に前提の余談。
現在イギリスの多くの大学は、教員がストライキをしていて授業がなかなか開かれないという大変な状況にあります。年金の額が低いぞ!とかなんとかで。せっかく授業を受けに来たのに!大学の施設にもなかなか入れないので、困りつつ暇を謳歌しています。長文を更新してしまうぐらいには暇。(やるべきことはあるけど大抵やりたくないことである。)

ストライキの話は別にいいのです。
なんと、ストライキによってキャンセルになった日本映画の授業の代わりとして、みんな出席してね!と言われたのが今回の『獣道』のスクリーニング。そんなテキトーな!と思いましたけど、非常にラッキーな機会でございますね。

この『獣道』、日本の地方が舞台になってる超絶ドメスティックなテーマの映画だったんですけど(ネグレクト、宗教、不良・ヤクザ、性産業などなどなど)、プロデューサーは外国人だし、日英独共同制作らしい。すごい。
今回は監督とプロデューサーのお二人がいらしていて、映画上映後にQ&Aタイムが設けられていました。私が取っている授業の先生がこのイベントのチェアマンだったらしく、インタビュアー的な役割をしていました。この外国人のプロデューサーの方から見た日本の映画・映画市場についての認識が特に興味深かったですね。

以下おもしろかったトークを抜粋してメモ

・映画には本物の暴走族とそのオートバイが出ている。警察がナンバープレートを撮りに来たりした。この街に本当に暴走族がいるようなシーンは撮るなって注意されたりした(監督)
・日本では映画は人気だけれど、その人気は出演するスターの人気に支えられたもので、映画自体のクオリティーはそこまで重視されない(プロデューサー)
・海外市場では日本と違って監督の名前がとても大事だ(プロデューサー)
・日本ではLong Cut(Version?)が好まれるけど、海外ではShort、Pop、Easier、High Paceの方が好まれがち(プロデューサー)(長回しとかカットのことを言っていたのか、ストーリーについてのlong/shortの話なのか、ちょっとうまく聞き取れませんでした。無念。)
・現代におけるDistribution(流通) Company of Japanese Filmの役割って?→日本ではそこまで人気がないけれど、いい映画、海外で人気が出るような日本の映画はたくさんある。日本のメンストリームの映画はreally really badだ、少女漫画やTVドラマのスピンオフのような酷い映画しかない。わたしの会社は日本ではメインストームじゃないけれども良い映画を見つけ、そういった映画を撮っているけれどなかなか儲かっていない良い監督を救うことを目的としている(プロデューサー)
・どのぐらい海外のオーディエンスを意識して映画を製作したか?→外国では誰も見てくれないだろうね、と言いながら作った。日本の田舎の不良はとても特殊である:なぜなら海外の不良と違って、18歳になる/大人になると悪いことをやめるからだ。その中でも1割ほどはやめずにヤクザになるよ。この映画はtoo domesticだから海外ではウケないだろうと思っていた(監督)
・日本の旗は右翼のイメージがあり普通使わないものだが、不良たちは旗が大好き。旗を映画内で使用するかどうか悩んだが、リアリティを追究するため使用した(監督)
・海外では日本のヤクザCoolみたいなイメージがあるかもしれないが、本当はこのように女性や子供を搾取して儲けるような人々だよ(監督)

以上。

日本のメインストリーム映画は超最悪!少女漫画映画ばっかり!みたいなくだりで笑ってしまった、なんていうか、ロンドンで外国人がそんな状況の話をするとは!という意外性もあったし、あと、さすがに悪く言いすぎじゃないかしら、普通に園子温とか人気あるし、色々と誇張して断言しすぎだ。まあそんなものなのかな。
何がメインストリーム、何がアンダーグラウンドか、ってなかなか難しい話ですね。
でも、海外での方が評価されるから海外でもっと儲かるようにする、それを制作費にして次の作品を日本で撮る、みたいなサイクルは面白いなと思った。海外で評価されている!という噂によって日本でも有名になったりするしな。日本のクリエイティブ産業のマネジメントをテーマにした授業や講演を色々聞いていると、結構こういうモデルがでてきがちである。本当のところ機能してるのか?結局海外の中でもワンオブザアングラカルチャーだし、なんなら輸出などに伴うコストの方がかかっていたりしないのだろうか?といった疑問はあるのですが。

でも、日本にいた時よりも自分の視野はちょびっと広くなった、ぐんぐぐーんだし、そんなアプローチもあるのか!そんな状況の打開策もあるのか!という発見驚き感動はおもしろいですね。

ところで、地方都市映画といえばなんてったってサイタマノラッパー。もうバイブル。私の世界が開いた原点。うお~~~。
『獣道』は、SR3ぐらい話自体えぐかった、いや、えぐかったはずなのに、でもSR3を見た時の震える怯える感じとは全然違って、ハードなのにコメディタッチでさらっとポップに観られる映画でした。面白いな。地方をテーマにした映画についてSplash!!という雑誌か何かが特集をしていた記事を読んだ覚えがあるが、もう中身を忘れてしまった。読み返したいのだが、実家にあるためすぐには読み返せません残念。

そんな感じ。